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ウオーキングの時間

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・つい先日まで、
昼食後に出かけていた、
公園ウオーキングですが・・

6月も今日で終わり、
明日から夏本番の7月(文月)です。

一昨日の木曜日、
曇りながら時々日がさす、
梅雨独特のムシムシジメジメの午後、
いつものコースを歩いていると、
暑くて、暑くて・・

上からと下からの、
サンドイッチ状態でした。

これは到底無理と思い、
次回からは昼食後のウオークはやめて、
朝の時間帯に変更しようと決心。





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緑のカーテンの朝顔を外から見ると



・翌日の金曜日、
朝の家事を済ませ、
洗濯物を外に干して、
歩く準備をして、さ、出ましょう!と思うと、
雨が・・

大粒の雨がパラパラと降り始め、
おりから強い風も吹いて大荒れに。

大慌てで洗濯物を内へ入れて、
ウオーキングもパス

雨は一日降り止まず、
午後からは雷鳴もとどろいて、
どしゃ降りになりました。

家の中も電気を点けないと真っ暗、
雷鳴は夜まで続きました。



~~~


・そんなわけで、
時間変更した初日は、
ウオーキングできなかったのです。




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ほおずきの花




・今朝、
土曜日もまた雨・・
シトシト雨が道路を濡らして、
今日もダメかなあ?と思っていると、
午前8時前、雨は上がって、
雲の切れ間に青空が。

今こそ!と思い、
内へ広げた洗濯物を外へ出し、
ウオーク準備

もちろん万が一に備えて雨傘持参で、
朝の公園ウオーク行ってきました。

雨に遭わず、
人にも会わず、
無事2周して帰って来ました。

5000歩と少し。

これから涼しくなるころまで、
この朝の時間帯に、
無理せずマイペースで歩けたらいいなあ!
と思っています




            


点と線

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・女は、
弱音を吐ける相手がいない、
と私は書いたが、女は愚痴をいう。

長女の私は、
昔から母のグチのはけ場であった。

大家族に嫁してきた母は、
姑や小姑にいじめられることを、
私にこぼす。

小さい時はともかく、
10代後半になると、
もう聞いてやる余裕はなくなる。

またか!と反発していたころ、
丁度終戦。

家は、
終戦2ヶ月前の空襲で全焼し、
大家族も瓦解した。



        



・父も死に、
母は女手一つで、
3人の子を育てるのに夢中で、
昔の恨み辛みどころではなかったのである。

しかし昔の憤まんや鬱悔は、
死火山になったわけではない。

90過ぎても、
時々噴火する。

あんなことをいわれた!
こんな仕打ちをされた!と、
私に訴えることがある。

「へ~え・・・ふ~ん」と、
今の私はおとなしく相槌を打つ。

昔みたいに、
邪険にあしらわない。

もうみな、
泉下の人である以上、
同じ屋根の下で共に暮らしたといっても、
嫁である母と、
その家で生まれた子供である私とでは、
祖母、叔母たちとの関係において、
微妙にトーンが違う。



        



・このことにつき、
ある友人がいった。

彼は市井の一生活人である。

そんじょそこらのおっさんの一人であるが、
大家族の一員として暮らし、
人知れぬ苦労をしたらしい。

それが彼に悟りを開かせた。

「人間の関係いうたら、
点と線に尽きるなあ」

という。

「そういうタイトルの、
松本清張さんの小説あるけどね」 と私。

「いや、その小説は知らん。
ワシ小説に弱いねん。
けど思うのは、
一人ずつが点になってつき合うてたら、
ええやないか、と」

「点?」

「そや、
線で引っ張ったらあかん。
引っ張るさかい、派閥ができる。
大姑派、姑派、小姑派ができる。
そやなしに、
おばあちゃん対ワシ、
姉妹対ワシ、
という風に点と点でつき合うことやな。
女房(よめはん)とも点のつき合いにする」



        



・そういえば思い出す。

小さい私は、
祖母の買い物について行って、
にわか雨にあい、
祖母の袂にくるまれて帰ったこと。

上の叔母に貰ったビロードのリボン。
下の叔母に連れられて行った、
松竹座の洋画。

それらの思い出は、
私と彼女らとの共有で、
その中に母は入っていない。

母の抱く恨み辛みに、
この年になれば共感できるけれども、
人はそれぞれ、
別々の思い出と感情を持っている。

彼のいう、
点と線の人間関係の見きわめは、
「いえてる!」と思った。

人は生きていると、
おのずとそれなりに人生のコツを、
会得する。




            




・確かに女の人はグチります。

「もの言わぬは腹ふくるる」
とかいいまして、
思っていることを黙っていると、
ストレスがたまって精神衛生上よくないそうです。

そうかといって、
自分が思ったことを、
どこでも誰にでもぶつけるのは、
天に向かってツバするようなもの。

やはり、
グチれる相手を見つけることこそ!
そういう人が居ること自体、
女の人にとっては、
最高の幸せ、
というもの

そ、「ここだけの話」ができる友人・・
大事にしたいと思います。


~~~


・それとお話変って、
現在、心躍らせるものは、
ワールドカップサッカーロシア大会にて、
日本チームがベスト16に残ったことでしょうか。

日付が変っていますが、
日本時間では3日の未明キックオフです。
対戦相手はベルギー

ポーランド戦後半で、
パス回しに終始した日本チームを、

(攻めにいかず、反則をもらわぬように、
ただひたすらボールをゆっくり蹴り続けて、
相手のポーランドも一応勝っていることではあるし、
双方の思惑が合致した結果)

「あのようなていたらくでは、
次はベルギーにボコボコに叩かれるだろう」
と非難した外国メディアもある中で、
そのようになるのか?
はたまた?

明日の今ごろは判明してますね。





            

トイレは?

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・最近遅まきながらも、
トイレを使えるようになったお孫ですが・・

日曜日の午前中は、
じじがお孫を迎えに行き、
じじに手を引かれて一人で遊びに来て、
お母さんがお迎えに来るまでの時間、
じじ、ばばと遊ぶのが恒例です。





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晴れ間の近所のアジサイ




・お母さんによると、
通園しているこども園のトイレは、
幼児用に設計されてあるので、
今は一人で使えるのだとか・・

で、家のトイレはというと、
昔は「おまる」を使っていました・・

持ち運び可能な、
幼児用トイレでアヒルの形をしていたのを、
わたしは使っていましたっけ。



「おまる 映像」の画像検索結果
ネットよりお借りした「おまる」




・しかし、当時と違って今は、
水洗トイレになっているので、
上のような独立したものは必要なく、
大人用トイレに補助便座を乗せると簡単に、
幼児用トイレになるそうです

知らんかった~~

おむつ洗いも要らないし、
おまるの後始末も不要とは、
何と便利なんでしょう





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同じく近所のアジサイ




・ここで、
一つ問題があり、
お孫は園と家のトイレ以外は、
絶対使わないのがいちばん困ったこと、
とはお母さんの弁。

持ち運び可の補助便座を、
車に積んでいて、
買い物で行くスーパー、
お休みに出かける行楽地などでは、
ガンコなのか?、神経質なのか?
いくら誘っても初めてのトイレへは、
絶対入らないそうな・・

では、どうするの?

家へ帰るまで我慢するそうので、
先ずは、園と家以外のトイレが使えるようになることが、
両親の目下の目標だそうです。

子育てって大変ね・・

わたしも通ってきた道なのに、
すっかり忘れてしまって・・
今さらながら体力、気力、愛情が要るなあ

<喉元過ぎれば熱さを忘れる>

お母さんの話に、
上の諺を実感した一昨日の日曜日でした。




            


昭和党

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・ウチへ飲みにくる人々の中に、
<昭和党>がいる。

何かというと、
「今年は昭和でいうたら76年やな」
などという。

昭和初年生まれのおっさんたちだ。

平成になってもう13年なのに、
「昭和何年」と数えないと、
「年月の経ち方がわからへん」
などという。

私も同年輩だから、
その気分は理解できないでもないが、
昭和党といっても、
政治的立場や、
思想的心情があるわけではない。

適当に左であり、
ほどよき度合いに右でもある。

それは時代の流れのせいである。

左でなければ納得できない時代もあったし、
右にならざるを得ない、
気持ちを抱かされる時代もやってくる。

世は移り、人は変わる。



        



・ところで、
このおっさんたち、
(女のおっさんたる私も、
上品夫人も同じ世代である)
の特徴は、
老いてなお、
昔の教訓、格言、箴言を、
忘れていないところである。

「いや~、
若いときに叩き込まれた教えは、
老来いよいよ忘れられんなあ」

などといいあっている。

「刻苦精励というコトバがあった。
コツコツ真面目にやらな、
人間はすたりものになる、
いうこっちゃ。
昔の子供は刻苦精励したデ」

というと、

「おお、あったあった!」

と打てば響くように応ずる。

焼酎水割り派の男、

「艱難(かんなん)汝を玉にす、とかな。
終戦直後の学生生活や。
バイトにつぐバイトでやっと学校通た。
玉にならへんかったけど」

という彼は、
大企業の偉いサンになって、
引退した。

「充分、玉になったやないの」
とひやかす私。

「いやいや、
まあ、瓦の一生やけどな」

というのも、
「瓦全玉砕」なんて教わった世代だもの。



        



・「我に七難八苦を与えたまえ~~
というて三日月に祈ったサムライがおったな」

というのは、
日本酒ぬる燗派のおっさん。

「山中鹿之助じゃございません?」

と応ずるのは、
やはり日本酒党上品夫人。

「限りある身の力ためさん~~
この上句、何やった?」

「憂きことの なおこの上に 積もれかし~~
やなかった?」と私。

「熊沢蕃山やったか」

「限りある身の 力ためさん・・
若いころはほんまにそう思た。
寅さんは奮闘努力やけど、
そんななまやさしいレベルと違う。
日本が負けた時代や。
みな歯をくいしばって働いた。
限りある身の 力ためさん、やった」

そのかみの健児、少女らは、
語って倦まない。

<精一杯 生きたる御代で ありしかな
昭和を語る 秋の夜の酒>



            



・今年は平成30年、
昭和から平成になって30年が過ぎ、
“光陰矢の如し”とはこのこと。

30年前の、
昭和64年1月7日(土曜日)のことは、
今でも覚えています。

当時、息子は小学6年で、
地区の6年の児童と父兄総出で、
その年のとんど焼きの準備のために、
朝から集まっていました。

そこへ役所から連絡が入り、
昭和天皇崩御により、
とんど焼きは自粛するようにとのことでした。

しかし、まだ正式に決まったわけではないので、
準備はせずに待機するようにとのこと。

午前中は、
集合場所のお寺の境内で、
子供たちは遊び、大人たちは世間話をしながら、
時を過ごすも、お昼がきて、
それぞれお昼に帰ろう、
となった時、
「とんど焼きは従来通りやってよろしい」
とのお知らせが入り、
昼食後、再びお寺に集合になりました。

朝から曇りがちだった天気も、
午後には冷たい雨になり、
子供と大人で、
とんど焼きの屋台骨になる竹を切りに、
竹藪へリヤカーひいて行ったのでした。

今では、
軽トラが活躍ですが、
当時は歩いて長く太い竹を引いて、
とんど焼きをする広場へ持ち帰ったのでした。

そして、
翌8日(日曜日)に当時の小渕官房長官が、
新元号を「平成」と発表されたのを覚えています。


~~~


・かつては歴史で習ったとおり、
天皇が退位なさることは知っていましたが、
今上天皇は今年いっぱいで退位なさるので、
「平成」も今年で終わります。

昭和が平成になり、
次は?です。




             

台風7号

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・今週のはじめ、
南の海で発生した台風7号が、
九州の西海上を北上して日本海へ出、
日本海で温低になりました。

台風7号は雨は降らせても、
風はないだろうと思っていたのが、
大ハズレで、当夜半から暴風雨が・・

わたしは、
植木鉢を片づけなかったことが
気になっていました・・

しかし、夜だし、ま、いいか!と、
雨風の音を聞きながら、
朝までほっておいたのです。





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台風前のサンパラソル




・ところが、朝起きると、
満開の花、そして花芽をいっぱいつけた、
この植木鉢の心配が見事的中して、
風で倒されて、
鉢は粉々に割れ、
土が四方に飛び散り、
花は根っこごと丸裸状態で、
おりからの強い雨に打たれておったのです

吹き降りの中、
どうすることもできず、
風が止むのを待って、
わたしもぬれながらの作業開始。

割れた鉢を片付け、
ぬれた土を地面に広げて、
まるでどろんこ遊び・・

空いた鉢と、
別によけておいた、
鉢植え用の土を出して来て、
雨の中、なんとか花の植え替え完了




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・あんなに見事だった枝ぶりも、
赤いきれいな花たちも、
折れたりちぎれたりで、
無残な姿に

ごめんね、といいながら、
残ったわずかを、
土に戻しました。

思えば、
その日以来こそが、
台風一過とはまるで天と地ほど違う、
悪天候の一週間の始まりでした。

当地でも、
今日などは警報が出ずっぱりです。

四国と紀伊半島の間にある、
紀伊水道が暖気の北上の通り道になったようで、
遠く去った台風が北からの寒気を呼び、
六甲山で暖気がぶつかって上昇し、
北からの寒気と合体し、
雨雲を次々と無尽蔵に作っているとは、
気象予報士さんの弁。

今も、音を立てて雨が降っています

大きな川も山もなく、
ここはいいところだね!
とは、昔の人の口癖でしたが、
こんなに連日の大雨は恐怖を感じます。

少なくとも、
明後日の日曜日までは、
この状態が続くそうですが、
どうか大きな被害は出さないで!
と願っています。




            

金印

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・先日、
私は福岡へ行ってきた。

「源氏物語」の魅力、という
お話のため。

アクロス福岡、いっぱいの人。

入り切れなくて別室へ収容し、
モニターを設けましたという。

ことに聴衆に、
中高年の男性の方が、
多くみられたのはうれしい。

ことに福岡は男性が目につく。
これがいい。


        



・翌日は快晴の秋晴れ。

ふと思いついて、
久しぶりに金印の出土地をみたくなった。

志賀島の海ばたである。

「は?禁煙発祥の地ですか?
禁煙運動は福岡から起ったんですか?」

とアシスタント嬢。

こっちの金印は国宝である。

天明4年(1784年)
土中から発見された、
「漢倭奴国王」印。

中国の古い史書には、
一世紀、倭(やまと)の奴(な)国の王が、
遣わした使者に、後漢の光武帝が、
印綬を与えたという記事がある。

それに符合するというので、
当時の学会を驚倒させた、
歴史的事件。

由来、200年、論争はあったが、
一応ホンモノとされ、国宝になっている。



        



・しかしなぜ、
その金印が志賀島に埋もれていたのかは、
まだ謎が多い。

運転手さんは物知りだった。

旅先で、
土地のタクシーの運転手さんたちの話を、
聞くのは とても楽しいもの。

「金印ですか。
コーロカン、コーロカン、
ご存知でしょうか?」

と運転手さん。

「あ、はいはい、
“春高楼の花の宴”ですね」

と愛想よく受けるアシスタント嬢。

頼むから黙っててえっ。

鴻臚館(その前身は筑紫館)は、
7~11世紀まで筑紫に設けられた、
国立の迎賓館である。

その跡が、
平和台野球場の外野スタンドの、
修理中に発見された。

運転手さんも、
一般公開の日、
子供さんを連れて見に行ったという。

海を渡ってきた、
中国や新羅の国使は、
ここで手厚く迎えられた。

千年前のアジアの友情の夢は、
福岡の地に埋もれているのだった。

金印出土の碑は崖の上にあり、
眼下に青い秋の海が広がっている。



        



・アシスタント嬢は?と見ると、
崖下で売っている、
一塩干しのアジが安いというので、
買い込むのに夢中。

しかし、
帰って味わったそれは、
確かに金印の秋風に乾いて、
まことに美味な筑紫の海の幸だった。



            




・先週来、降り続いた雨は、
今日の日曜日、やっと小康状態になり、
曇り空ながらも雨は落ちていません

ピンポイントではなく、
西日本の広範囲に甚大な鋭いつめ跡を、
いくつも残し、まだ、進行形ながら前線本体は、
やっと弱まっていくのでしょうか?

思えば、
わたしは金曜日の夜、
「関西発深夜便」のラジオ、
時々ワールドカップサッカー中継を聞きながら就寝。

その深夜に携帯に何度も、
エリアメールが入信。

ラジオも、
「大阪からです」
と刻々と放送中断して、
災害のニュースを臨時で告げ、

「充分気を付けてください」

と言われてもねえ・・・

大雨特別警戒が初めて発令されましたが、
おかげさまでわたしのところは今は無事です!


~~~


・金印を見られた田辺さんですが、
「源氏物語」の講演に行かれた折にでした。

最近、わたしは、
角川文庫「残花亭日歴(ざんかていにちれき)」
なる文庫本を読みました。

これは、
車いす生活になって3年目の、
カモカのおっちゃんこと田辺さんのご主人と、
ご高齢の実母さまとの日々の記録でした。

車いす生活のご主人が、
あの9.11の同時多発テロ発生の夏、
口から血を吐かれて、
検査の結果、
上顎、下顎に悪性腫瘍が見つかり、
ご主人発病前の6月から翌年1月に亡くなられて、
その後の供養について3月までの日記形式になっています。

本を読みながら泣くなどとは、
わたしとしたことが・・ではありますが、
各地での講演、執筆、雑誌やテレビ局の取材と、
多忙な中でも必ず時間を作って病院へ。

そしておっちゃんが機嫌がいいときは、
元気なときそうだったように冗談を言い合い、
アハアハ笑いあって帰宅。

しかし、一人になると涙が・・
もうその時は二度と元気になる見込みはないことを、
医師から伝えられていたのでした。

田辺さんは、
ご主人には病気のことは、
絶対内緒にしようと決心されていたものの、
あるとき、病室で静かに眠っていた、
おっちゃんの顔を見ていると、
思わず涙が・・

すると、
眠っていたと思われたおっちゃんが、
田辺さんの顔を見て、

「かわいそに ワシはあんたの 味方やで」

と言われたので、
ワッと泣けばよかったんだけど、
涙が引っ込んで笑えてきたそうです。

全篇すべて、
田辺さんの超多忙さにもかかわらず、
ご主人の病院へ通い、冗談を言い合い、
結果、年が明けると話すこともできなくなり、
それからお葬式へと。

「主人が亡くなったから」

ということは絶対理由にしない決心で、
普通に仕事もこなされ、
同時進行で、七日、七日の仏事もこなされたのが、
日記の行間から読み取れます。

ご主人がいかに田辺さんを大事にし、
田辺さんもこよなくご主人を愛された、
ひと組のご夫婦のあり方が、
「残花」
という美しいことばを持って語られているのに、
感動させて頂きました。

いつかは「別れ」が待つものと知りながら、
このように感動大きいご夫婦の別れは、
お手本にできるといいけど、
無理みたいです



            

七夕さん

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・7月7日は七夕です。
七夕には笹に願い事を書いた短冊を吊り下げます。
(画像はネットよりお借りしました)




「七夕飾りの映像」の画像検索結果




・ここ数年?
いや数十年はご縁がなかった七夕まつりですが、
お孫の通う「こども園」で、
先週のウイークディに「七夕会」をするので、
見に来てください!とのお誘いを受けて出かけてきました。

当日は朝から雨、
しかし警報はまだ出ていなかったので、
予定通りお孫は登園。

午前10時からというので、
一家に一台の駐車場枠なので、
お母さんの車にわたしたち2人同乗させてもらい、
会場へ~~



~~~


・わたし達3人、
前から2列目の椅子に並んで坐っていると、
園児たち次々と入場してきました。

それぞれが、ママをさがして、
こちらを見ながら「ママ~ママ~~」と呼び、
「あ、ここよ!○○ちゃん」とお母さんやじじばばたちも
手を上げ、立ち上がって、答えて大賑わいに!

お孫はわたしたち3人をすぐに見つけて、
納得して自分の席へ。





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舞台
向って右に大きい笹飾りがあります。



・園児の歌や合奏が始まる前に、
先生方総出で、七夕さんの絵本を朗読。

天の川をはさんで、
一年に一度だけ会うことを許された、
彦星と織姫・・メルヘンです

ベガとアルタイルなどと覚えさせられたことも・・
今は昔。



~~~


・プログラムは無事に進行して終わり、
こども達は担任の先生たちに引率されて、
会場を出て各教室へ。

さてわたし達も帰りましょう!になった時、

園長先生が、
「みなさんに、お話があります」
といわれるのでみんな坐りなおしました。

「子供の教育に力を入れてきたここ何年もの間、
子供たちの成長を見届けるのが、
楽しい充実した日々でした。」

と、
ここで言葉に詰まられた園長先生は、
ハンカチを目に当て思わず嗚咽がもれて、
会場はシーン。

実は、
園長先生の実のお母さまが介護が必要になり、
しばらくはお母さまの介護のため、
お休みさせて頂きたい!
という申し出。

何度も深く頭を下げられて、
「申し訳ありません」をくり返される。

でも、
「後継者が立派に育っているので、
安心して任せて頂きたい」
とも・・

お母さまの介護のため、
しばらく休まれるというお人柄に、
わたしは心を打たれました。

子育てと介護は、
決して同じではないと思います。

子育ては成長と共に終わるのに対し、
介護は先が見えないからです。

どうぞお元気で、
お母さまの介護に全力を尽くしてください!
と願わずにはいられませんでした。

わたしも涙・・
最近、よく泣くわたしです




            

弱音

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・女は、
弱音を吐ける相手がいないから困る、
と私は以前書いた。

男はいい。

男は、
男同士で弱音を吐き合える。

しかし女は男と違って、
女同士で連帯して弱音を吐くように、
なっていない。

また自分より弱い者にも、
弱音は吐けない。

弱い者は、
守ってやるべきものであって、
弱音を吐ける対象と違う。

女にとって、
自分より強いものをみつけるのは難しい。

自分より強いもの、
それが一つある。

ペット。



        



・男とペットを比較考察して、
どっちが女に慰藉を与えるか、
前に書いたことがある。

私はペットに軍配をあげた。

男は自分が慰藉されたがって、
相手を慰藉してやろうなどと考えぬ種族。

そこへくるとペットは強い。

たとえば犬派であると、
ペットをワン吉とする。

ワン吉に向かって、

「もう、仕事がこれでもかこれでもか、
と押し寄せてきてね、
そこへ課長が、
重箱の隅をほじくるようなことうるさく詮索して、
気が安まるヒマないのよ」

などと訴えると、
ワン吉は、

「うるさいオバンやのう。
またかい、そんなゴタゴタ、
いちいちワイにいうてどないすんねん。
その重箱野郎に一発かましたったらエエやないけ。
この忙しい時にしょうむないこというてじゃますなっと、
怒鳴ったったらすむこっちゃないか」

と叱られ、
なぜか気がスッとする。



        



・猫派の女子であると、
にゃん子に向かって、

「今日も売り上げ落ちたって、
店長がけんつくくらわすけどねえ・・
この不景気だもん、
できる限りやってるんだよ。
でも、これ以上は、
政治と世界情勢のせいだから、
仕方ないわよねえ・・」

などといいつつ、
やわらか、しなやかなにゃん子の体に、
触っていると、にゃん子、
眉間にシワ寄せてせせら笑い、
女の手を振り払う。

「じめじめしたの、
あたい 大きらいだよ。
落ち込んだ時こそ支店長誘って、
パ~~ッと飲みに行くとかすればいいじゃないの。
あんたがじめじめ姐ちゃんだから、
男運悪いんだよ~~ん。
のいてよ!
あたい、これから昼寝するんだからさっ」

取りつく島もなく、
それでも無理に抱きとろうとすると、

「ギャオッ~~!」

と歯を立てられてしまう。

しかし、
こうして弱音を吐いたおかげで、
鬱屈が晴れてハレバレする。

相手がペットにしろ、
弱音を吐けるのはすばらしい。



            




・弱音を吐くより、
女は愚痴をいうとのこと。

違いはどこに、ですが、
弱音は物事を前に進めようという、
気持ちが見えない弱々しいことをいう。

愚痴は、いってみても、
どうにもならない愚かなことをいう。

どちらもマイナス要素に満ちているように思えます。
弱音を吐いても、愚痴をいっても、
物事が好転しないのなら、
いうだけソン

でも、どうにもならないとわかっていても、
口に出すと案外スッとすることがあります。


~~~


・今回の広範囲にわたる、
西日本大水害・・

地理の時間に習った、
瀬戸内式気候は温暖少雨でしたが、
それをくつがえしました。

わたしが若いころのめりこんだ、
横溝正史作品、
金田一耕助が活躍する探偵物語の多くは、
氏が戦時中 岡山県の岡田村疎開中に書かれた、
と聞いています。

「八つ墓村」
「悪魔の手毬唄」
「獄門島」
「本陣殺人事件」

もっと多くあると思われますが、
この岡田村こそ、
今、大水害のつめ跡甚大な、
現在の倉敷市真備町なのです。

水は退いたとはいえ、
これからの後始末が大変と思われます。

暑いおりです。
どうぞ体調にはくれぐれも留意されて、
少しずつ元へ戻っていけますように、
と、隣の県からではありますが、
願っています。

ガンバ




              



七夕会その後

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・お孫の七夕会は、
7月7日ではなく前日の6日(金曜日)に、
開催されたのでした。

雨はこの週初めから降り続いていましたが、
警報は出ていなかったので、
無事終了し、
園長先生のお話(前回記事済み)が、
終わったあとは、
参加者は帰宅の予定でいました。

こども達はいつもと同じく、
夕方まで保育されるということでしたので。




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平日だったのでお父さんの姿少ない会場
笹飾りが遠くに・・



・帰り支度を始めた時、
一人の先生が会場に走って入って来られて、

「今、警報がでました。
大雨警報です。
どうしてもという方をのぞいて、
出来ればお子様を連れて帰って頂きたいのです」

お母さんはこの日休みをとっていたので、

「連れて帰りますので、
少し待っていてください」

と、お孫の教室へ行ったので、
わたしたちは吹き降りの雨を見ながら、
玄関で待っていました。


~~~


・お母さんがお孫を連れて出て来たので、
傘をさしても濡れてしまうような、
烈しいどしゃ降りの雨の中を、
駐車場へ・・

車に乗る前に、
夫(おっちゃん)が、

「お昼やなあ!
ごはん食べに行こうか」

と誘うと、
お母さんもお孫も大賛成

「何がいい?」

お孫いわく、

「ハンバーグ!」

では、お孫の誕生日に行ったことのある、
レストランへゴ~

途中、下校中の小中学生に会う。

やはり警報が出たせいで、
お昼前で下校になった由。

わたし達、じじばばと、
お孫とお母さんの4人で食事に行くのは、
初めて・・・

お孫も一人で食事が出来るようになり、
頼もしい限りではありますが、
好きなものから食べるので、
キライなものが残る!
とは、
お母さんの弁。

警報が出るのは、
決して喜ばしいことではありません。

このあと、特別警報になったのです。
そして、七夕水害が西日本の各地を襲いました。

今年の七夕は、
良きにつけ悪しきにつけ、
平成最後の七夕として記憶に残ることでしょう。




            

日本語の責任

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)





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・アシスタント嬢が、
ぷりぷりして帰ってきた。

また引ったくりか?

「引ったくりより悪いですわ!」

何かと思えば、
後ろの人に落とし物を注意されたという。

「いいじゃないの。
親切な人じゃないの。
何を怒ってるの?」

「いえ、そういうことではなくて、
呼び方が気に食わないんですよっ。
“オバチャン”っていったんですっ。
中年の男でした。
自分だってオッサンのくせにっ。
“オバチャン 落としたデ
なんていうんですっ」

は~~!
私は言葉をうばわれる。



        



・この際すぐ、

「それはけしからんわ」

と同調すべきであったろうが、
それよりも小説屋(作家ではなく)として、
すぐ考えたのは、
そのオッサンの直観力、
男特有の鋭い感受性である。

そのオッサンは、
彼女の後ろ姿しか見ていない。

「なんで、せめて、
ネエチャン、といえないんでしょうっ」

まだ怒っている。

しかし私は、
その落とし物注意のオッサンの、
カンのよさに脱帽せざるを得ない。

いっておくが、
彼女は上背すらりとして、
胴短かで脚長、
というスタイルのいい人である。

若年のみぎり、
陸上選手だっただけあって、
足首もバネがききそうだ。

少なくとも私の見るところ、
前から見たって若々しいハズ。

ましてや後ろから見たら、
昨今の娘と見分けがつかないハズだが、
そのオッサンは無意識のうちに、
頭のコンピューターを働かせ、
ネエチャンかオバチャンかを、
選別し、即、オバチャンという、
答えを拾い上げて、
そう呼びかけた。



        



・すべて一瞬のカンである。
男の女に対するカンの働きは強い。

仕事でもそれほど、
カンが働くとよいが・・

「オバチャン、なんて失礼、
というものでございましょっ」

彼女の怒りは鎮まらない。

確かに後ろから見ても、
前から見ても彼女は、
ネエチャンと呼ばれて然るべき。

けれども、
私としては何ともいえず、

「いや~、
そのナンですよ。
日本語が悪いんですね。
大体、日本語の責任です」

「は?」

「日本語には“マダ~ム”なんて、
感じいい言葉がないから。
まだしも昔の侍だったら、
“お女中”とか“お内儀”
とかいえたけど。
現代日本語は、
ボキャブラリー貧困ですからね」

日本語に責任を、
なすりつけてしまう。




            




・いや~~、
「オバチャン」も「ネエチャン」も、
どちらも呼ばれたくない呼び方だと思います。

時々かかる勧誘電話、
わたしが受話器を取ると、
「奥さんですか?」と必ず相手はいう。

これもキライ・・

うちは奥があるほど大きな家ではないので、
「いえ、違います」とハッキリ

「では、奥さまは?」と相手。

「今、留守です」とわたし。

「奥さまは何時ごろお帰りでしょう?」と相手。

「さあ~~、わかりません」とわたし。

絶対、どのような用件であるかは、
聞かないでおくことが大事。

これで大抵は退散!

その後すぐに、
かかった電話番号を受信拒否に設定しておきます。

また、
人ごみの中で落とし物をしたとき、
わたしも経験ありますが、
確か、「オバチャン」とは言われなかったなあ。

この年では、
間違っても「ネエチャン」ではないですから。

前向いて普通に歩いていると、
後ろから肩をたたかれて、

「あの~~、ハンカチ落とされましたよ!」

見ると、手にもっていたハンカチが、
手渡されて、

「すみません。ありがとうございました」

で終わり

反対に、
わたしが落とし物に気づいても、
やっぱり、落とした相手に、
「落とされましたよ」
と声かけます。

落とした相手が不明の時は、
悪いですが見てみぬふり~~
あくまでも「物」の場合です。

わたしが、
「オバチャン」と呼ばれて許せるのは、
息子の友人たちと身内の子供たちだけかなあ?

同世代の男の人に、
「オバチャン」なんて呼び止められたら、
田辺さんのアシスタント嬢以上に、
怒り心頭で、
「何ですか!オッチャン」
と言い返すこと必須。

しかし、
気が弱いことこの上ないわたしのこと、
思うだけで、血圧あげているかもです。

呼びかけ方って、
むつかしい。




            


アシダカグモ

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・一昨日の金曜日、
夕食の準備をしている時は、
全く気付かなかったのですが、
準備が済み、さあ!ごはん、になって、
何気に窓際の壁に目をやると・・・

「えっ!なに、これ!」

一瞬目をこすって見直した壁です

白い壁紙に、
足を広げた真っ黒い大きな蜘蛛が。





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わたしが描いた下手な黒い蜘蛛
隣は荒神さんのお札



・とっさに、

「あら~~、おっきな蜘蛛が!」

わたしの声にびっくりして、
飛んできた夫(おっちゃん)も壁を見て、

「これは大きいなあ~~!」

2人で思わず見上げていたものの、
とりあえずは、メシが先、ということで、
夕食を済ませてのち。

おっちゃんは、
針金ハンガーをわっかにして、
竹筒にさし込み、ナイロン袋をわっかにとめて、
にわか補虫網を作り、蜘蛛の上からおおうと、
間一髪でナイロン袋へ

すぐ外へ出せばよかったのに、
上からもう一枚ナイロン袋をかぶせよ、
というので、モタモタしているスキに、
すき間からサッと逃走

デカイのに逃げ足の速いヤツ。

2度と姿を見るのは絶対イヤだし、
2人でその辺をさがしまわることしばし。

すると冷蔵庫と壁紙のすき間にいるのを発見!

今度は捕まえてすぐ外へ出したのは、
もちろんです。

昨日の状態です。
まだナイロン袋に入ったまま、
庭石の上に置かれています。




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・夜の蜘蛛はよくないことが起きる、
とか聞きますので、
いややなあ!
でしたが、
先ずは今日まで平穏で過ぎています。

ただ、猛暑には往生していますが・・

そして、
ネット検索によると、
この蜘蛛は「アシダカクモ」
というそうで、網を張らずに、
家の中を徘徊して、
ゴキブリや小さな虫を食べる益虫とのこと。


(下線部クリックでウィキペディアへいきます)


暑さが異常になると、
家の中にも異変がおきます・・




            

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・去年は、
二十一世紀を迎える年というので、
私はあちこちから感想や希望を聞かれた。

「お互いに顔を見合わせて話をし、
お互いに指紋をつけあうような親しみが、
新世紀にこそ欲しい」

といった。

世の中は、
ナマの現実から、
どんどん遠ざかりつつある。

飛び交うのは、
情報とキカイ。

人間同士のコミュニケーションは、
いよいよ希薄に。

若者たちは、
顔を見たこともないメル友を、
親友といったりする。



        



・キカイ(SNS)を仲介した、
会ったこともない友人は、
いやになればすぐに切ることができる。

しかし、
現実に友人を持てば、
反発したり気まずくなったりすると、
厄介だという。

本当は、
双方から溝を埋めあい、
理解しあえばいい関係になるのだが、
若者たちはキズつくのを恐れ、
キカイの疑似友情に甘んじている。

そんな人間関係は、
片寄りすぎになると思い、
もっと簡単に、
「情を大事にしませんか」
といおうと思う。

情とは、
気持ちの通じ合いである。

情を外国語に訳すのは、
難しいかもしれない。



        



・古い句で示せば、
わかりやすいかも?

<久しぶりに 互いに傘を さし上げて>

江戸中期の『俳諧武玉川』に載っている句。

男同士が、
雨の中で久しぶりに会った。

お互いに傘をさし上げて、
思わず立ち話。

さわやかな江戸の男の、
友情である。

もひとつ、
こちらは女房の情。

<腹の立つ 裾へかけるも 女房也>

今夜もぐでんぐでんに酔って、
帰ってきた亭主。

「もう、ほんとに!
仕事もしくさして、何やってんだよっ」

江戸女は伝法だ。

怒って怒鳴りつけるけれども、
亭主が酔いつぶれて、
そのまま眠りこけているのを見れば、
風邪でもひいてはと、
ついフトンをかけてやる。

これも女房の情である。



        



・日本人は元来、
情の濃い民族である。

しかしそれで押し通して、
「みんな仲良く達者で暮らす」
というのを国是としたら、
それは日本のお国柄となる。

ホカの国も見習ってくれたら、
地球のいわば地球柄となるであろう。

こんな新年の夢を、
若い者に語っても、

「独りもんの行水や」

と嗤うかもしれない。

これは大阪弁のシャレで、
そのこころは、
独身者は行水するにも、
自身で湯を汲まねばならない。

「勝手に湯ぅ取れ」

つまり、
「勝手にいうとれ」




            




・わからない言葉の解説ですが、
女房の亭主への言葉かけ、

「仕事もしくさして・・」

「しくさして」
は、最後までやらず、途中でやめてしまうこと。

「伝法」
は、粗暴で無法なふるまい。
勇み肌、多くは女性に用いる。

お江戸の女房は、
亭主をこきおろすが、
心では大事に思っていて、
フトンをかけてやる「情」を持ち合わす。


~~~


・時代が進んで、
今は老若男女、SNSを使いこなす時代。

現実の友人知人とのつきあいもあれば、
お会いしたことのない、
ネット上の交流も多くあるのが実状。

わたしの場合は、
2006年元旦、
ヤフーブログを開設して以来、
12年目になります。

今では多くのブロ友さんと、
ネット上でコメントのやりとりを、
毎日のように楽しく交わすことができて、
感謝しています。

<キカイを仲介した会ったことのない、
友人はイヤになればすぐに切ることができる>

当時の田辺さんは上のように記されましたが、
これが今では事件になったりする時代。

会ったことがない友人だからこそ、
現実の友人以上に慎重な態度で接することこそ。

つまりキカイの上のおつきあいにも、
「情」は必要なものになりました。

ブロ友のみなさまへ、
このようなわたしですが、
これからもどうぞよろしく、
おつきあいくださいね。




            

美容院

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・一般的に「梅雨明け10日」と、
いわれています。

この10日は、
梅雨の間の体が、
まだ暑さに慣れていないので、
要注意時期でもあります。

少しの暑さでも大変なのに、
最初から猛暑の今、
通例のジメジメシトシトとは似ても似つかぬ、
豪雨災害を西日本にもたらして、
去った今年の梅雨です。





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毎年つるを切ってしまっていた、
藤の木のつるを這わせてみました




・連日の猛暑は
半端ないことこの上なく、
美容院から遠ざかることも久しい。

わたしが、
前回美容院へ行って、
カラーとカットをしてきたのは、
もう一ヵ月以上も前のことと思い起こし・・

思い立って予約電話をしてみると、
朝一(AM8時30分)でしたら空いてますとのこと。

で、行ってきました。

買い物もしたいので、
夫(おっちゃん)に迎えに来てくれるとき、
毎日使っている保冷剤入れられる、
保冷バックに保冷剤を入れて、
持って来てね!
と。

わたしは、
いつものように、
カラーと短くカットをしてもらうと、
鏡の中は別人がいました





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暑い日の先日の早朝、
そろそろ縁側に陽が入り始めたので、
おっちゃんがスダレを吊りました




・終りの時間をいってあったので、
支払いを済ませて外へ出ると車が待っていました。

スーパーへ走ってもらって、
さあ下りようと、
保冷剤入りバックを持つと、
ずっしりと重いのです

「なんでや?」

あまりに重いので、
カートを使用。

メモを見ながら買い物を済ませ、
重いエコバックに食品を詰めると更に重くなり、
大汗かいて車へもどりました。

おっちゃんは店内へは絶対ついて来ず、
車内で待っています・・

帰宅して、
保冷バッグの中身を全部出し、
冷蔵庫、冷凍庫、野菜庫へとふりわけて
食材を収納。

そこで見つけたのは、
わたしがいつも使用するのは、
500㌘保冷剤一つなのに、保冷バックの底には、
なんと500㌘保冷剤3個が・・・

わ~~、これは重たいハズ。

「一つでよかったのに!」とわたし。

「一つだけとは聞いてへん、
この暑さで溶けるか思た」

(溶けへんて・・・)




        

あの・・

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・去年、
私はある新刊書を出した縁で、
テレビにたびたび顔を出すことになった。

それで痛感したのが、
実にたくさんの人がテレビを観ている、
ものであるということ。

私の本の読者など、
ほんのひとにぎりであろうけれど、
テレビに何分か出たばっかりに、
外出すると多くの未知の人たちに、
お辞儀をされたり、
じ~~っと見つめられたりして、
私としては、

「ハテ?あの人、
知ってる人やったかしらん?」

と混乱してしまう。



        



・某日、
私はある人と会う約束で、
指定場所へ出かけた。

口を利いてくれた知人氏も、
一緒に行ってくれた。

ところが行ってみると、
当の本人は席にいず、
しばらく待たされた。

知人氏は室内へ入って、
文句をいっている。

ついたての奥から声だけ聞こえる。

「困ったな。
タナベセイコさん連れていくよって、
と、いうときましてんけどな」

「タナベセイコさんて、
あのタナベセイコさんでっか」

「そうやがな」

空気が動き、
ついたての奥から誰かが私を、
のぞき見た気配。

「ほんまや。
テレビそっくりやがな!」

私としては、
その嘆声の無邪気さに打たれてしまう。

更に無邪気氏は、
知人氏に頼んでいる。

「サインしてもらわれへんやろか」

無邪気氏は昂奮気味で、
いいかぶせる。

「あの、テレビで書いてはったヤツ。
“まいにちがばらいろ”
ちゅうヤツ。
あれ、
ウチの女房(よめはん)に見したろ、
思てな。

ウチのヤツ、
いつも陰気臭い文句いいで、
かないまへんねん。
あれ、お守りにさしたろ、
思てなあ・・」



        



・お言葉ですが、
私は声を挟みたくなった。

“まいにちがばらいろ”
ではない。

私が書いたのは、
“まいにち ばらいろ”
である。

「が」
が入ると入らないのとでは、
ニュアンスが違う。

“まいにちがばらいろ”
には唯我独尊の臭気がある。
傲慢な自信が臭う。

私はとてもそんな、
デカイ態度はとれません。

“まいにち ばらいろ”
は、どうかそうあってほしい、
というささやかな願い、
はかない望みなのだ。

「しかし、
実物は小(ち)っこい人やな、
テレビではわからんけど・・」

無邪気氏の無邪気な発言。

そうなんです!

私がホカの人と並んでいる写真を示すと、
夫(おっちゃん)は、いつも、

「オマエだけ、
なんで坐ってんねん」

と不思議そうにいう。

そこへ目当ての本人が来たので、
私はサインをせずに済んだが、
テレビの威力には、
ひれ伏す思いであった。



            




・テレビに出られると、
顔は覚えられますし、
雑誌や新聞の写真と違って、
おしゃべりもされるので、
声のトーンや話し方からお人柄までわかる、
という恐ろしいすぐれもの。

声というものは、
案外人柄がわかるものだ!
と最近気づきました。

見た目の第一印象と同じくらい、
声も人柄をあらわすものです。

ではありますが、
どこかに書いていらしたけど、
テレビの対談番組では、
特にNHKでは、
秒刻みで話す内容が決められていて、
「・・・」と思っていると、
係りの人が、
「そんなに神経質にならなくても、
アナウンサーが調整しますから大丈夫です」
と告げられたとか。

見ている側は、
何をお話されるのだろう?
と興味津々ではあるものの、
前もってことこまかく、
まるでドラマを演ずる俳優さんのように、
コトバも台本通りに決められているとは・・
知ってしまうとなんだかなあ。

万人向けのお化粧をされて、
雰囲気にあった衣装をつけて、
にこやかに話したり相槌を打ったり、
テレビに出るのも大変ね

田辺さんは、
もう何年も前朝ドラの脚本を書かれました。

自伝小説でしたが、
田辺さん役を、藤山直美さん、
カモカのおっちゃんを、国村隼さん、
子役時代のお父ちゃんを、
トキオの城島くんが演じてました。


最終週くらいに、
ホンモノの田辺さんが出演されてました。

田辺さんは、
色では赤やピンク、
そして洋服にはフリルやリボンがいっぱいの、
まるで西洋人形のような洋服が大好きな方ですね。

愛読者の一人であるわたしは、
洋服に関しては、
正反対

色は、白、紺、グレー、の無地、
デザイン専らはシンプル。

先日、夏物バーゲンセールで買ったものは、
薄水色の長袖カッターブラウス、
黒のクロップドパンツ、
真っ白にワンポイントのあるTシャツ数枚・・

色気も金気もありませぬ~~




            

クリームソーダ

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・猛暑の先日、
この異常な暑さの中、
電車に乗って街まででかけてきました。

といいますのも、
高校時代から今に至るまで、
再三食事やミニ旅をしている友人のご主人さまが、
この早春に亡くなられたことは聞いていましたが、
「家族葬で済ませたのでお香料お供物一切ご辞退」
という報を受けておったのです・・

別の友人とわたしで相談した結果、
初盆が近づいたことだし、
気持ちだけお供えを、
2人でということで、
件の友人の都合のいい日を聞いて、
3人で会った次第・・

もちろん会う目的は彼女には内緒。






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ご近所の猛暑の庭で咲くダリア




・冷房のきいた和食専門のお店で、
当日の日替わり定食を食べながら、
遅まきながらのお悔やみをいい、
彼女は亡きご主人の思い出を語り、
食事後、
ほんの気持ちだけなので、
ご主人さまの初盆のお供えとして、
お花か果物、あるいはご主人さまの好物を買ってください!
と2人でわずかばかり入った包みを渡しました。

彼女、
しばらく無言で連名の不祝儀袋を見てましたが、
どうなることか?一瞬ドキドキでしたが、

「ありがとうございます!
気をつかって頂いて・・
8月13日に初盆のお参りにお寺さん来られるので、
お花を買わせていただきます」

と素直に受け取っていただいて、
2人、顔を見合わせて、あ~~よかった



~~~



・「会うは別れのはじめとは~~」
今では実感できる言葉です。

そのお店を出て彼女とは別れて、
相談し会った友人と、
清算しましょう!
になり、
冷たいものを飲みながら・・・
と、喫茶店を探すのですが、
中々みあたらない

やっとのことで、
駅中で坐れるティルーム発見。

メニューを見て思わず2人、
同時に出た言葉が、
「クリームソーダ!」




「クリームソーダ...」の画像検索結果
ネットよりお借りしました



・メロンソーダの上に、
ソフトクリームが乗っているさわやかな飲み物。

お供えに包んだお金の半分をわたしは渡して、
(彼女が用意してくれていましたので)
あとはおしゃべりしていたら、
あらら、もうこんな時間

涼しくなれば、
この続きはその時に


暑かったけど、
濃い時間が流れた一日でした。




            


ティッシュ

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・昨年5月に行った、
ロサンゼルスのさわやかな気候が、
なつかしい。

私は、
その地の新聞社の招きで、
「源氏物語」の講演に行ったのだった。

日本人たちが、
たくさん来てくださって喜んでもらえた。

日本語は話せるけども、
読めないという若い世代も増えて、
「源氏物語」を聞くことができてよかった、と。

私は、
はるばるやってきた、
甲斐があるというものだった。

ここで長く働いている日本人女性の話では、
こんな住みやすいところはない、
という。

年中、
ジーパンとTシャツですみ、
物価は安く、
世間づきあいも気楽、というのは
サンキューとノーサンキューの2つですむ、と。



        



・「治安が物騒、
ということはありませんか?」

これは新聞社の女性記者に聞いたら、

「そんなところへ行かなきゃいい」

と、簡単明快な返事。

楽しい旅であった。

唯一、私の失敗は、
お世話になる皆さんに と思って、
ハンカチや扇子を持ってきたこと。

ロスの気候は、
からりとしているので、
汗をかくこともなく、
ハンカチを使う折はありません、
とのこと。

「おやおや・・
では、泣くときはどうなさるんです?
ロスの女性だって、泣くときもあるでしょう?」

といったら、記者は微笑んで、

「ティッシュを使うんですね」

「ティッシュBOXだって、
いつも手元にあるとは限らないでしょう?」

「男に、取ってくれと指図します。
夫とか恋人とか、ね」

「ハハァ~~」

日本の男が、
そんなことしてくれるかなあ?

それより、
日本の女はハンカチを目に当てて泣く、
と思っていた私は古かった?



        



・というのは、そのときロスで、

「カモカのおっちゃん お元気ですか?」

と、何人かに聞かれ、
私はうれしい思いをした。

カモカのおっちゃん、というのは、
私のエッセーの主人公だが、
なぜか私の夫がモデルと、
思われている。

カモカのおっちゃんは先日亡くなって、
ロスからもお悔やみの電話をいただいたが、
この半月、私は怱忙の毎日で、
しみじみ涙をハンカチで拭くヒマがなかった。

気がつくと、
私も涙を拭くのにティッシュを使っていた。

ただし、
ロスの女性たちと違うところは、
自分でBOXを探してくること。

でも、私の発見として、
現代の女性は、
ハンカチを目に当てて、
よよと泣く、
というような悠長な悲嘆に、
ふけっていられないのだ。

人の死も、その後始末も、
すべて秒刻みに過ぎてゆく。

ハンカチは涙より、
汗を拭くためのものらしい。




            




・相方に死に別れる、
またはこちらが先に逝くといった、
いつかは夫婦も一人になるのは必定。

偶然、わたしもつい先日、
ご主人に先立たれた友人に会って、
お悔やみをいってきたばかり。

入院中は、
病院に行けば会える!
明日は何を持って行こうか?
何を用意しようか?を考える時間がなくなった、
ということは、
日暮れが近づくと、
淋しくて淋しくてたまらなかったそうです。

ご主人がいつも坐っていた場所、
使っていた食器や衣類を見るだけで、
涙、涙、涙・・

しかし、
泣いてばかりもいられず、
生活全般にわたっての夫亡きあとの処理、
後始末(なんだか冷たい言葉ね!)に、
役所をハシゴしたり、
大変だった由。

それらがようやく落ち着いたころ、
先日の食事会になったのでした。

いつまでも夫の遺影の前で、
じっとしているわけにもいかず、
そろそろ外へ出ないと!
と、思っていたグッドタイミングだったそうで、
あっつい日でしたがよかったです。


~~~


・田辺さんもご主人を亡くされて、
葬儀に続く仏事や後の処理をこなされながら、
執筆活動、講演も続けられて、
涙を拭くヒマがなかったとか。

といいつつ、
やはり突然悲しみは襲ってくるもので、
ド~~ッとあふれる涙は、
とどめようがなく、
ティッシュで拭かれた涙

ハンカチは、
わたしの場合はやはり汗拭きでしょうか?
日本はロスと違って高温多湿の夏ですから。

この夏は異常なほどの猛暑なので、
タオル地の細長いハンカチ(?)を常用し、
朝ウオーク時は首に巻き、
食事作り時には、
頭を包みこみ、
外へ出るときはたたんで汗拭きにと、
かわいいマフラータオルが手離せません。

数枚をくりかえし洗って使ってますが、
洗ってもすぐに乾きます。

思えば、最近涙流してないな。
わたし~~

そ、高畑監督が亡くなられた時、
特集として放映された「火垂るの墓」を見た時、
あの時は大泣きしましたが、
あれ以降は・・・

あの時はBOX抱えてましたっけ




            

スイカ

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・かつては、
スイカは丸ごと買うものでした。

今は、
家族数が減って、
大きいスイカをまるごと買っても、
食べきれません・・

で、先日の日曜日、
スイカが好き!というお孫にと、
果物屋さんで半分にカットしてもらったスイカを、
買って冷蔵庫に入れておきました。


~~~


・日曜日の午前中、
いっとき遊びにやってくるお孫に、

「スイカがあるよ!」というと、

「エッ!ほんま!」と大喜び。

冷蔵庫から半分にカットされたスイカを出すと、

「わ~~!」と大喜び。

「お母さんに切ってもらおうね」

とお母さんにお孫が食べやすい形に、
切ってもらいました。

ひと口サイズで、皮は取り除いて・・





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東の窓は朝顔の緑のカーテンでおおわれ、
部屋は緑色に






・自分用にカットされたスイカのお皿を、
テーブルに自分で運んだお孫。

大人たちのお皿も運ぶと、
お孫は自分と大人たちのお皿を見比べて、

「ボクの小さい~~」

まあ!大きい、小さいがわかるのね
じゃあ、取替えっこね!

わたしのお皿と取り換えると大満足

フォークで上手にひと口大にして食べ、
終りの方は両手にスイカをもってかぶりついていました。

あら~~野性的な食べ方もできるのね

「もっと食べる?」
と聞くとさすがに、もういいみたいでした。





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・こんなに喜んで食べてもらえるとは、
そして大きい、小さいがわかるなんて・・

今年初めてのスイカを、
こんなに感動しながら食べてもらえ、
わたし達も美味しく食べられて、
よかったです。

また買おうね




            


また、可

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・このところ私は<仏事まみれ>である。

七日七日に法事があるから、
結構忙しい。

これが四十九日まで続く。

王朝文学にも、
「七日七日の御誦経などを」と、
『源氏物語』の「柏木」の巻にある通り。

死者は死んで四十九日、
中有に迷い、
四十九日経つと、
三界六道のいずれかにゆくという。

生前の行いにより、
報いを受けるのである。



        



・柏木は悲恋に死んだ若者だが、
ウチの夫(おっちゃん)は、
気まま勝手に生きた御仁なので、
自分でさっさと行きたいところへ、
行っているかもしれない。

けしからんヤツである。

ふた七日過ぎると、
ぼちぼち悪友たちから、
なぐさめともひやかしともつかぬ、
電話がかかってくる。

「どや、おせい。
何しとんねん?」

「何って、
今お昼ごはん頂いたばかりだよ」

「そっか。
いや、悲嘆のあまり、
後追い自殺してへんかな、思て」

「誰がそないなことすんねん。
あほらしやの鐘が鳴るわ」

「オレが死んだら、
後追い自殺しても止めへんけどな」

「あほ!」



        



・また別の友達。

「どや、飲んどるか?」

「うん。
これはおっちゃんに関係ないからね」

「独酌か?
淋しいやろ?」

「毎晩、誰か彼か、
入れ代わり立ち代わり来てるわよ。
これも供養じゃ、いうて、大宴会になっちゃう」

たしなめてくれるような友人なら、
世間体もいい、というものだが、
彼は勇み立って、

「ようし、行く、行く。
日本には『弔い合戦』という、
ええ言葉があるからな」

どうしようもない。
それで弔問を果たしたと思う手合い。



        



・そうそう、
読者の皆さまからも、
やさしいおなぐさめお励ましの、
お手紙をたくさん頂きました。

ありがとうございました。

中に、ご自分の経験と照らして、

「私も昨年、
大事な大事な最愛の・・」とあるので、
てっきり、ご主人かお子様かと思ったら、

「猫を亡くしまして、
タナベさんのお悲しみはよくわかります」

あるいは、

「私も一年前、
愛する夫を失いました。
しつけもよく、かしこく、
いつも私が帰ってくると、
飛びついて喜んでくれた夫でした・・」

とあり、
なんかヘンだなあと、
よくよく見ると、
夫としか読めなかったけれど、
犬であるらしかった。

その方の達筆のせいでしょう。

そうだろうなあ。
夫が飛びついて喜ぶなんてことは、
ないもんなあ・・

ま、しかし、
私も来世で、
うまく人間に生まれ代わればいいが、
犬になっているかもしれない。

私は犬好きだから、
それはそれで「また、可」というところ。



            




・「柏木」って・・?ですが、
『源氏物語』の主人公・光源氏は、
桐壺帝の皇子でしたが、
母・桐壺更衣の身分が低かったので、
皇太子になりいくいくは立帝は難しいとよまれた、
父亭は臣下に下され「源氏」姓を与えられたのでした。

青年になり、
最初の妻・葵の上との間に男子・夕霧をもうけます。

葵の上の兄が親友の頭の中将。
彼の子供が柏木です。

長じて柏木も結婚しますが、
源氏の住む六条院を訪問したとき、
猫が巻き上げた御簾越しに、
当時、源氏が晩年になって迎えた正妻・女三ノ宮を、
見てしまったことでひとめぼれをしてしまうのですが・・

相手は源氏の正妻、手が出るはずもなく、
ですが、女三ノ宮はどこか頼りなげなところがあり、
スキをついて柏木の子供を宿すことに・・

この子が「宇治十条」の主人公・薫大将になります。

柏木は生まれる子供の顔も見ず、
この世を去ってしまうのです。


~~~


・今、世の中は「家族葬」が主流となりました。
家族だけで死者を弔う、
それも世の流れなのでしょう。

残された者がポツンと遺影の前で、
ひたすら悲しみに耐える・・

それも今風なのでしょうが、
ひと昔前は、七日七日に近隣や身内が集まり、
そのたびに茶菓子の接待、そして読経と、
悲しい中にもどこか華やいだ雰囲気も、
感じたものです。

今は多忙な時代、
ひとさまをしばってはいけない、
時間とお金の無駄は省こうになったのでしょう。

七日参りの最後の四十九日、
お寺さんがいわれたのは、
四十九日までは、
死者の魂は家のどこかにとどまっていて、
四十九日のお勤めが済むと、
西へ向かって旅を始めるそうな・・

西には西方浄土があると。

ほんまかウソかは信じるか信じないか?
ではありますが、
亡き人たちのおかげで今がある、
そう思えばおのずとすべての先人に対して
頭が下がり、手を合わすようになるのでしょう。


お盆も近づいて、
なんか抹香臭くなってしまいました
スミマセン・・





            

通行止め・・

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・一昨日の水曜日のことです。

朝8時過ぎに家を出て、
県北の「千年水」へ、
水汲みに出かけてきました。

猛暑が続くので、
少しでも朝早い方がいいだろう、
それに一宮町も先般の豪雨被害が、
出たと聞いていましたので、
確かめると大丈夫!
ということでした。





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窓辺の朝顔




・出発して数分後、
デジカメを忘れたことに気付き、
後戻りはできず・・鈍くさいわたしです

山崎の町を超えて、
鳥取へ向かう国道29号と別れ、
更に北へ進んで目的地の「千年水」への、
山道の入り口に、なんと、
通行止め
のロープが張られていて、
係りの男性がヘルメット姿で中央に立っています。

あら~~せっかく来たのに、
行かれないんですか

夫(おっちゃん)は、

「水汲みできないかどうか聞いて来い!」

というので、わたしは、
車を下りて男の人に近寄り、

「千年水へ行きたいのですが、
ダメでしょうか?」

恐る恐る聞いてみると、

「千年水までなら大丈夫です。
気を付けて行ってください」

と言われて、通せんぼのロープを、
外して下さった。

よかったこと

しかし、山道は谷川に削られ、
道幅が半分になっている場所や、
土砂崩れの後が見られて、
いつもの光景とは違って見えたので、
おっちゃんも慎重にハンドルを操作。

無事、目的地に到着するも、
先客あり。

お互いに交わした言葉は、

「通してもらえてよかったですね」でした。

ここの水は湧水なので、
谷川の水量とは無関係ながら、
勢いよく2つの取水口からほとばしり出ていました。

しかし、
うっそうと茂った木々が、
倒されて空が広くなっていましたし、
谷川には大岩小岩がゴロゴロとして、
豪雨のつめ跡を残していました。

気温は29℃・・
猛暑日連続の自宅から比べると天国、
汗も出ず、仕事も順調に運びました。

これでまた数か月は山のお水が使えます



~~~


・先日から、
「別れ」それも夫婦間の別れが、
話題にあがること多く、
友人、田辺さんと。

男女2人の別れを歌った、
「M」という歌を、
徳永英明さんたちのカバーで、
聞いてみました。

よろしければ、
クリックして聞いて下されば幸いです。






            

・・・(テンテン)

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・電話で近況を問うてくれる友人。

三七日(みなのか)ぐらいにかけてくる奴(の)は、
夫(おっちゃん)が亡くなってすぐの頃の、
二七日(ふたなのか)派とは、
微妙にトーンが違う。

二七日派はいつもに変わらず、
おちょくっていた。

おちょくるは、
ふざける、からかう、などという、
語感の大阪弁。

その後の手合い、
いつもは明るい奴なのに、
なぜか陰々滅々の風情。

「葬式に行かんですまん。
ワシ、
おっちゃんの写真見たら泣くか、思てな。
申し訳ないけど欠席した。
香典だけ送っといた」

「あれ、
供花・香典一切ご辞退、なのに、困るよ」

と私。

「オマエ、
えらい、声、明るいな」

「泣きの涙でいると思ったの?」

「いや、この前からオマエ、
マスコミやあちこちでインタビューされとるやろ。
それ見たらな・・・」

これが三七日派。



        



・陰々滅々のわけがわかった。

三七日ごろともなれば、
あちこちにおっちゃんの葬儀の記事や、
私のインタビューが出てくる。

これが、
「・・・(テンテン)」の、
お涙ちょうだいの定型。

“涙顔で弔問客を送迎する
セイコサンであった・・・”

“豪快に笑うカモカのおっちゃんの写真の下で、
悲しみに沈むセイコサン・・・”

という按配。

ライターの能力というより、
日本民族底辺の通癖であるらしい。

三七日派は、
それらを目にして、
陰々滅々になったのだろう。



        



・しかし、
おっちゃんの葬儀は暗くなかった。

弔辞は藤本義一サンにお願いした。

藤本サンは、
おっちゃんとの交情を、
淡々と語ってくださったあと、
みごとなオチまでつけられた。

お棺の中のおっちゃんがいう。

「ギイッちゃん、
もうやめんかい!
ヘタな作文やな。
それでは甲の上はやれんデ」

藤本サンいわく、

「当たり前でんがな。
香華(甲の下)でんがな」

みな、
吹き出すのを必死にこらえて苦しそう。

それで私は、
喪主あいさつで、

「こんな席ですが、
遠慮なくお笑いください」

といって、
20分ばかりしゃべった。

みなよく笑ってくれた。

文芸春秋さんは、
喪主あいさつを、
そのまま本誌に載せたいという。

私はメモを取らずにしゃべっていたので、
困ったが、アシスタント嬢が、
テープを回してくれていて、
助かった。

そんな具合で、

「『文芸春秋』3月号を見てね」

というと、
三七日派の友人は活気づき、

「ほんまか!
心配して損した。
ようし、一升瓶下げて今晩行く。
ついでに、くどいてこます。
おっちゃん、怒るなよ」

「ウチ、
アシスタント嬢もいるんだけど」

「ついでにくどく」

「96のおばあちゃんもいるよ」

「ええい!
3人ひとからげにくどくわい!」




            




・わたし、
田辺さんの愛読者の一人でありながら、
「カモカのおっちゃん」シリーズもすべて読破し、
文庫本ながら書棚に並んでいるのにもかかわらず、
ご主人が亡くなられた2002年当時のことは全く記憶になく、
今、思えば悔しい!思いがいっぱいです。

なんでかな?
よくよく考えてみると、
わたしの母が亡くなったのが、
2000年の夏でした。

忘れもしないのは、
母の四十九日法要の日が、
シドニー五輪の女子マラソンの日。(9月26日)

当日、
お寺さんも集まった身内も、
法要そっちのけでテレビのマラソン中継に見入って・・
お母さん、スミマセン

結果、高橋尚子さんが金メダルに輝き、
その後法要を始めたのです。

なので、
2002年といえば、
母のむかわりの次の三回忌の年。

当時は家族葬ではなかったので、
後々の法事もぬかりなくやっておりました。

2002年の夏も、
母の三回忌法要の準備で、
わたしは妹の力を借りて、(夫は現役でした)
案内状や料理、粗供養の準備に忙しくしていました。

読書を始めようかなあ?
という心の余裕ができたのは、
このブログをはじめた2006年ころからでした。

しばらく読書から遠ざかっている間に、
新しい作家の方が続出されて、
どれがいいのやら?
迷ううち、

「そうそう、昔読んだ本を読みなおそう」

になって、
田辺さんに行きついたのでした。

なので、
カモカのおっちゃんが亡くなられたことも、
遅れて知ったのでした。

当時、弔辞を読まれた藤本さんも、
お亡くなりになられて・・

(合掌!)



~~~


・40℃近い猛暑が続いた当地ですが、
東から西へ進む異例なコースをたどる台風12号。

当地でも、
午前6時過ぎからしばらく暴風が吹き荒れました。

今は雨が降っていますが、
風は収まった?

今後は、
西日本にかつてない広範囲に、
豪雨災害をもたらした中国四国地方を西へ進む台風。

どうかして、
二次災害を起こさぬよう願っています。




            

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