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夏野菜を頂く

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・台風というもの、
たいていは赤道近くの南の海で発生し、
勢力を増しながら北上して、
日本の西のほうから、
東へ進むハズ・・

しかし、
今回の12号台風は、
日本の南の海で発生し北上し、
このまま関東付近に上陸して日本海へ、
と思っていましたが、
おおかたの人々の予想を裏切って、
北上をやめて西へ進路をとりました。

その後、
紀伊半島の東の三重県へ上陸後、
さらに西へと進んで、
紀伊半島横断し、
山陽道沿いに西へと進んだ、
前例のない変わりもの台風でした

当地は、
昨日の朝の6時過ぎから2時間ほど、
暴風雨が吹き荒れましたが、
お昼前には青空が!


~~~


・台風の前は、
猛暑に次ぐ猛暑の日々。

そんなある日の夕方、
ご近所友だちが、
夏野菜を届けてくださったのです。




イメージ 1
袋に入ったままでごめんなさい!




・ナス、トマト、ミニトマト、シシトウ、ピーマンです。

実はこの野菜たち、
友人の実家のお兄さんの作られたもの。

彼女のお兄さんは御年80歳半ばながら、
野菜作りが趣味でいらして、
たくさん採れたからと、
車で10数分のところにある実家から、
軽トラで運んでくださった由。

あまりにもたくさんなので、
おすそ分けといって持ってきて下さったのです。

彼女の実家の家族のみんなは、
お兄さんに、

「もう畑仕事も車の運転も止めて!」

と言ってるそうですが、
彼女に言わせると、

「お兄ちゃんはこれが趣味だから、
取り上げてしまうと、かわいそうかなあ?」

だそうで、
しっかりとされたお兄さんなので、
止め時は自分で決めると思う!
とのことでした。

もちろん、
この野菜たち、
連日我が家の食卓に上ったことは、
いうまでもありません。

朝採れの野菜たち、
とってもおいしかったです。

ありがとうございました。




            


晴れ女

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・早朝、
雪もよいの曇り空のもと、
車で徳島へ出発。

寒いったらない。

アシスタント嬢は、
クッション、ひざ掛け、ストールの類を、
どっさり持ち込む。

阪急タクシーの運転手さんは、
車の中を暖めてくれていた。

空路で行くつもりでいたのに、
ヒコーキの便は廃止になったという。

橋がかかったので、
車で行け!ということらしい。

運転手によれば、
「3時間ぐらいとちゃいますか」
とのこと。

徳島へは講演である。

何カ月も前の約束だから、
約束は守らねばならない。

私は、
のど飴を持って車に乗り込んだ。

みんなの手にのど飴がわたって、
ピクニックに行く気分だけど、
外は暗いお天気。



        



・「私、晴れ女なんだけどねえ」
と、
暖かい缶コーヒーを飲みながらいうと、

「ボクかて晴れ男でっせ」
と、運転手。

こんなことは早くいった方が勝ちで、
結局、アシスタント嬢が雨女と、
決めつけられてしまった。

でも、降らないだけまし。

明石海峡大橋、
大鳴門橋、スコスコと渡り、
この辺から空は明るい。

青海原いちめん、
洗濯機のように白い渦が波立っていた。

観潮船や漁船が出ている。

と思う間もなく、
はや徳島市内へ。

2時間半の旅だった。



        



・今日の会場は、
徳島プリンスホテル。

主催は徳島銀行生涯学習振興財団。

銀行の偉いサンがたとご挨拶。

「徳島は阿波踊りに来ましたから、
懐かしいです」と。

東京の編集者さん、
神戸の友人たち7~80人で
<カモカ連>を結成して、
連続8年来たかしら。

「また踊りにいらしてください」
と誘われ、

「いやもう、皆、足腰立たなくなりました」
で大笑いになる。

銀行の連は<徳銀連>

なるほど。
当然だけど、でも、なんかおかしい。

そして偉いサンの紳士がたは、

「この度は、
ご夫君のご不幸、
お悔やみ申し上げます」

といわれるのであった。

私もあらたまって、
「ありがとうございます」
と答えた。

講演のテーマは、
「川柳の世界」だったので、
聴衆にもよく笑っていただき、
私自身もおおいに楽しんでしまった。

帰途は晴れて、
夕焼けの海峡をみんなで、
「瀬戸の花嫁」を合唱しながら帰った。

結局、
アシスタント嬢も晴れ女、
ということになった。




            




(下線部クリックで今問題のニュース開きます)

夏の風物詩として、
徳島は蜂須賀のお殿様のご城下で、
くりひろげられる「阿波踊り」ですが、
内紛が起きているようですが、
もめごとの本質というか原因が
素人にはちとわかりにくい・・

お殿様も悲しんでおられる。

“同じあほなら 踊らなそんそん”

ですが、
どうなってしまったのでしょう


~~~


・カモカのおっちゃんが亡くなられたのが1月。

以前から約束してあった、
講演は断るわけにはいかず、
田辺さんはタクシーで徳島まで行かれたのですね。

淡路島の背骨を突っ切るハイウェイを走るには、
明石側(本州)から明石海峡大橋、
徳島側(四国)へは大鳴門橋、
二つの海峡大橋を渡って、
でした。

明石海峡大橋が完成した年、
母がまだ元気でいましたので、
母と父の末妹の叔母を誘って、
夫(おっちゃん)は車を出してくれました。

母も叔母もとても喜んでくれたのを、
覚えています。

そんな思い出もありの橋ですが、
田辺さんたちは「瀬戸の花嫁」を歌いながら、
帰られたとか。

わたしは「橋」といえば思い出す歌は、
サイモンとガーファンクルの
「明日に架ける橋」


(下線部クリックでユーチューブ開きます)




            

花子の後足

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・去る5月1日に、
満17才の誕生日を迎えた、
ウチの愛犬・花子です。

生後一か月で、
縁あってうちへ来てから、
17年と3ヶ月が過ぎました。

真っ黒のラブラドール犬でしたが、
寄る年波には勝てず、
黒かった体は、
今は白く・・


黒い体ということで、
暑さには弱く、
毎年夏になると、
「この夏、越せるかなあ?」
でした。

それに、
後足が最近はよく落ちます

散歩の途中でも、
後足が地面に崩れ落ちて、
動けなくなる時が増えました。






イメージ 1
散歩から帰って、
後足がO脚になっています。





・気候のよい時過ごす、
マイハウスが木の間から見えますが、
今はとても過ごせません・・

スチール戸棚は、
花子用のフードや用具入れです。

少しではありますが、
フードもおやつの小魚も食べていますが、
足腰の弱りは人と同じだなあ!

かわいそうだけど・・・






イメージ 2
顔も真っ白に




・目も見えにくくなっているようですし、
大声で呼ばないと聞こえない?

そんな昨日夕方、
夫が散歩に行こうと、
花子のところへ出て行くと、
丁度、お孫が園から帰って来て、

「花ちゃんとこへ行く~~」

と言ったそうで、
花(植物の)の水やりをしていたわたしも、
花子のところへみんなで集合!

O脚になった後足で、
よたよたと外へ出て来た花子は、
みんなに囲まれて喜んでいました。

お孫も花子の背中を恐る恐る撫でて、

「ボク、なでなでできたよ!」

お母さんも、

「よかったねえ。
花ちゃん、喜んでいるよ」と。

そろそろ、
介護用ハーネスを買いましょうと、
夫と話し合ったことです。











・こういうのがあれば、
散歩中に後足落ちて大丈夫かな?
と思っています。

まだまだ暑い日が続きます。
ウチへ来た時から外で暮らしている花子、
この夏、無事に乗り越えてくれるといいなあと願っています。




            

初うぐいす

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・飲み仲間に、
よっしゃのよっしゃん、という男(の)がいる。

頼まれると、
「よっしゃ!」と一応はうけあう。

断れないお人よしなのであろう。

あとで苦労したり、
またはすっかり忘れたりしている。

私は、
3月初めに、
大阪府羽曳野市へ講演に行った。

この辺りは5世紀の、
河内王朝華やかなりしころの勢力圏で、
巨大古墳が多い。

『古事記』にもある。

“古代の英雄ヤマトタケルは、
死して白鳥と化(な)り、翔り去った。
白鳥のとどまったところにお墓を作ったが、
そこが羽曳野で、この地名も、
白鳥が羽を曳いて天翔(かけ)ったことから

というロマンチックな伝説。



        



・私はあの辺に不案内である。

よっしゃんは、
「ワシ、その辺よう知ってるよってに、
車で連れて行ったる」
という。

私は頼んだ。

しかし、アシスタント嬢は、
冷静にいう。

「もう、阪急タクシー予約しました。
きっとよっしゃんさんは、
お忘れになると思います」

彼女は礼儀正しいので、
私の友人に「さん」をつける。

果たして前日も、
よっしゃんさんから連絡は入らない。

その日、
ウチの人々は、
庭でウグイスの初音を聞いた、
と喜んでいた。

私は部屋にいたので、
それは聞いていない。

伊丹はわりに木が多いので、
小鳥の声がよく聞かれる。



        



・当日、
タクシーの運転手さんは、
プロらしくきっちり研究してくれて、
高速を下りるなりスッと目的地へ
つけてくれた。

LICはびきの、
は、新しくてきれいだった。

実はここで、
私の『源氏物語』の講演のあと、
関西歌劇団の『源氏物語』ハイライト上演がある。

全曲上演は長くなるので。

館内いっぱい7百人。
はびきの市民大学、というわけ。

みなさんとても熱心に、
聞いて下さった。

尤も、
昔よりずっと開けた町になっていて、
町なかではウグイスは聞かれなかった。



        



・帰宅して私は、
よっしゃんさんに電話で、
おちょくってやった。

「伊丹では、
ウグイスは鳴きだしたけど、
河内では聞けなかったわよ。
そっちは?」

「ケータイのピコピコなら鳴っとるけどな。
河内・・・あっ、そうや!」

と、途端にあわてて、

「すまん、忘れとった、
この借りは体で返す」

「要らんわ、そんなもん、あほ!」

「すまん、いうとるやないか」

「ほんまに、
よっしゃのよっしゃんや、
頼りにならへん」

「そんなんいわんと。
これからも仲間外れにせんと、
かもてえな、な、な、・・」

これにはふき出してしまった。

かまってくれ、(相手にしてくれ)
ということである。

男の本音かなあ?
女にかまってもらいたい、というのが。



            




・この猛暑の時期に、
ウグイスの初音のお話は季節外れですが、
先日、買い物帰りに「ユニクロ」に寄ったところ、
あら~~もう秋冬ものが店内の大部分を占めて、
夏物は隅っこに・・でした。

いずれは秋が来るのでしょうが、
今は「ホンマか?」な気分です。

このまま永遠に猛暑日が続くかのような、
気持ちにさせられている毎日

一日、一日を悔いなく過ごすことこそ、
ではありますが、
口から出るのは、
「暑い!暑い!」ばかりです。


~~~


・よっしゃのよっしゃんさんは、
罪はありませんが、
こういう人はいます。

わたしの身近にも、
「ここだけの話ね!」
とくれぐれも念を押しておいたのに、
ここ以外に平気でもらす人・・

本人はそれが悪いとは、
決して思っていないところが更に悪い。

こういう人は次回からは、
仲間に入れてもらえなくなることは必須。

自分が仲間から距離を置かれていることさえ、
わからないのでそこでまた、
同じ事をくり返す。

「口は災いのもと」
とはよくいったものと思いますが、
ちなみにこの場合の「ここだけの話」は、
他人のワルクチではないことを、
ハッキリさせておきます。




            


花火

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・夏の風物詩の一つに、
花火、があります。

ウチの近所でも、
夏祭りや盆踊りの日に開催されます。

今までは、
家にいて「ド~ン!」という音を聞いて、
今日もどこかで花火やってるな!
な感じで見に行ったことは、
息子が子供だったとき、
以外はなしでした。

昨年、
お孫と一緒に現場へ行ったのが、
最近では初めてです。

で、昨夜、
お孫の希望で、
お母さんに車を出してもらって、
地理に不案内なお母さんに代わって、
おじいちゃんがハンドルをもってゴ~

少し早めについたので、
特等席へ車をつけることができました。

以下は、
手のひらサイズのデジカメで、
これまた操作が下手なわたしが撮った、
花火の写真、恥ずかしいですが載せます。




イメージ 1
お孫いわく、
「わ~~タンポポみたい!」



・子供の感性ってすごい、
一瞬で消える花火に、タンポポを想像するとは・・




イメージ 2
もっとよく似ていたのですが、
「わ~~、クラゲだねえ・・」



・昨年は、
「大きい!」とだけ叫んでいましたが、
いろいろな表現ができるようになって


40分ほどで終わりになったようなので、
Uターンをして帰ろうとすると、

「帰りたくない!もっといる!」

「もう、終わったからね。
お父さん帰ってるから、帰ろう」とお母さん。

なだめてすかして、
やっと帰途につきました。




イメージ 3




・いっぱい撮ったのですが、
うまく撮れなくてすみません・・・

渋滞の中、
帰り着くとお父さんの車も帰ったところ、
お孫のご機嫌もやっとなおって、
自宅へ帰っていきました。

あなたのおかげで、
今年もジジババは、
きれいな花火を見ることができて、
感謝です。ありがとう~~




            

ファンレター

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)



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・いろんな手紙がウチにくる。

国で下さる賞のときは、
新聞に住所まで載るのだからだろう。

プライバシーもへったくれもない。

この間は、
85才男性の手紙に、

<自分は長年、
カモカのおっちゃんに親愛感を持ち、
亡くなられたとは残念である。
77才とは若死にだ。
思うにタナベさんは、
自分の仕事にかまけて、
夫の介護をおろそかにしたのではないか>

私は頬がゆるんだ。
う~ん、これこそ(男の発想)ですなあ。

妻に先立たれた男も、
ゴマンといるはずだが、
その男に対して、
このようにけん責する人は、
ほとんどいないだろう。

男には仕事がある。
男は介護できなくても仕方がない、
という牢固たる信念が世間にはありますから。

そこへくると、
女の仕事なんかなんぼのもんじゃ、
そんなんほって夫の面倒みたらんかい、
というのが85才男性に代表される、
世間の本音かもしれない。



        



・私も人並みの介護はしたが、
この介護の労苦たるや、
経験した人には、
いわなくてもわかるし、
経験しない人には、
いってもわからないというもの。

それより、
介護中に私が発見したのは、
人間には2種類ある、
ということだった。

リハビリする人と、
しない人である。

ウチの夫(おっちゃん)は、
リハビリはしない、
というタイプだった。

そして介護人にも2種類あると、
思い知らされた。

「おや、そうかい」と、
承諾するタイプ。

「絶対ダメ、しなきゃ!」と、
愛のムチをふるタイプだ。

私は前者であった。

かわいい男が、
イヤだというのならいいんじゃないか、
と思うだけ。

本人がソノ気にならないものは、
どうしようもない、
と思う私は、
妙な人間でしょうか?

まあ、それを通せるくらいの、
人生的腕力は私にもあったし、
というところで、
元来、気ずい気ままに生きてきたおっちゃん、
最後まで気ままを通せて死ねた。

本人はしごく満足であろう。

私のほうは、
よくも77まで生きのびさせてやった、
と思っている。



        



・昨日は若い女性から、
<これはファンレターです>
とまず、ことわって、
お悔やみを述べて下さったあと、

<さしでがましいようですが、
もう仏壇はお買いになりましたか?>

アンタは仏壇屋のまわしものかっ!

四十九日の前に、
ささやかなものを買いましたけど。

<タナベさんのことですから、
お仏壇にスヌーピーのシールなんか貼って、
ドールハウスのイスなんか入っていません?>

そこまでは・・・

このごろの手紙、
自文自注である。

でも一瞬、
私はドールハウスの家具を、
仏壇の中に入れることを楽しく考えた。



            




・新聞に住所まで載ってしまうのは、
このときまだ「個人情報保護法」が、
成立していなかったから。
(2003年 平成15年成立)

この法律ができて以後、
ぶ厚い電話帳が、
みるみる薄っぺらになっていきました。

しかし、
家電話の需要は減り、
各個人がめいめいに携帯やスマホを、
持つようになり、死語になっていく言葉も増えました。

それまでは、
友人・知人宅の電話番号は、
少なくとも数件は暗記できていましたし、
街の至るところに公衆電話が並んでいました。

友人・知人宅の家電話に電話をすると、
家族の誰かが受話器をとります。

夜だと、
「夜分、恐れ入ります。
私、○○と申しますが、
◎◎さんいらっしゃいますか?」

と当の相手を電話口に呼んでもらったもの。

今は、
深夜であろうと直接相手と連絡できます!

それに、
電話番号記憶しなくても、
携帯やスマホが覚えてくれているので、
瞬時に呼び出せてしまう。

そして、
街角からは公衆電話が姿を消しました。

一定の距離には設置する義務があるようで、
ようくさがすと、緑の公衆電話機を発見できます。

ファンレターもその意味では、
今では減ったのでしょう。

有名人の方も、
ツイッターやフェイスブックを
利用されておられるので、
ファンの人も、お目当ての人と、
SNSで直接つながれる世の中になりました。

しかし、
手書きのファンレターもいいものでしょうね。




            

花火と母

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・前回、花火を見たことを、
ブログに記しました。

ここ数年は「音」だけ聞いて、
どこかで花火大会やってるな、
で過ごしてきましたが、
実際に、
次々と夜空に大輪の花を咲かせる、
火の祭典を間近に見ていると、
母の最期を思い出しました。


~~~




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・あれは2000年の夏。

母は検査入院という名目で、
1~2週間の予定でかかりつけ医に、
紹介状を書いてもらって入院したのが7月1日。

検査の結果は、
末期のすい臓ガンでした。

手のほどこしようがない状態でした。
なんでこうなるまでわからなかったのでしょう?

「余命一ヶ月」
と担当医から伝えられた時、
わたしは涙も出ずにかたまっておりました・・

妹に告げるとあたりはばからず号泣。

わたしは妹に、
「絶対、母には泣き顔は見せないように!」
と厳しくいって、
「生涯一度きりのお芝居をしよう!」と。

そう、ウソをつきとおすお芝居です。
結果を聞いたのが7月20日過ぎ。

以後、個室に移してもらい、
母はそれを不審に思い、

「いつ退院できるの?」と聞くので、

「個室でしっかり食べて、
体力つけて元気になってから帰ろうね」
と妹とわたしは悲しいウソを。

昼間は妹がつきそい、
夜は私がつきそい、
8月7日に亡くなるまで、
それは続きました。

夜、
わたしが仕事から帰った夫の車で病院に行くと、
妹が昼間の様子を話して帰るのですが、
個室にいた間、
2~3度近くで花火大会があり、
窓からきれいな花火が見えたのでした。

母も花火が見えるようにと、
ベッドを起こしました。

「きれいねえ!」

母は窓から見える花火を、
わたしたちと一緒に見て喜んでいました。

そして、
帰る妹を玄関まで送ると、
毎日の昼間のお芝居がこたえたようで、
ひと目もはばからずワンワン泣きながら帰ったものです・・

「泣いたら、事故るよ!」

と毎度わたしはたしなめましたが、
やがて母は言葉も発せなくなり、
思えば花火をみて、

「きれいねえ」

といったのが最期の言葉になりました。

花火が打ちあがるように、
一瞬にして母は空へ去ってしまったのでした。

その時以来、
わたしは花火は大嫌いだったハズですのに、
時の流れと共に人は変るものだ、
を実感しています。




            

春野菜

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・田舎へ行くと、
近ごろは「道の駅」があって、
地方の物産や生り物を売っているから楽しい。

友人が、
(春野菜のてんぷら用セット)の、
小さいカゴをおみやげにくれた。

つくし。
小さい雪の下の葉っぱ。
春菊。
セリ。
椎茸・・・

みな、ちまちまとしてかわいいが、
生き生きして匂いもいい。

ことに椎茸は新鮮だ。
私の祖母はよくいっていた。

「人はみな、
生まれた在所から三里以内に、
でけたもんを食べてたら体によろしねん」

今は都会に住む身として、
三里以内にできる米や野菜を、
口にすることは難しい。

しかしせめて野菜は、
国産のものを食べたい。

たとえ割高であろうともだ。



        



・ただいまのところ、
私は輸入野菜に不信感と猜疑心で、
いっぱいである。

というのも、
私はこのごろ野菜大好き人間になった。

もちろん、
肉も魚もいただくけれど、
野菜の滋味に開眼したのである。

これは老いたしるしであろう。

菜っぱ類も豆類も、
ゴボウ、人参、芋、蓮根・・
みな好もしい。

老母に(春野菜セット)を見せると、
「おやおや、懐かしいものがあること!」と、
つくしをつまんでそのまま食べてしまう。 

「あれ、ナマで食べていいの?」

「昔、学校の行き帰りに、
土手や山すそに生えているのを、
皆して摘んでは食べたものですよ」

老母は大正の女学生で、
「高等女学校へ、
往復三里の道を歩いて通った上に、
つくしなんか生で食べてたから、
長生きしたのです」と、
威張った。



        



・春野菜のてんぷらは品よくあがり、
蕗の煮つけ、
タケノコとわかめのたき合わせ、
頂きもののいかなごのくぎ煮、
などで春の夕げは始まる。

お手伝いさんは、
自宅で食事を済ませてくるし、
アシスタント嬢はお休み。

食卓は、
私と老母の二人。

庭の彼岸桜の若木は、
もう葉桜となり緑が濃くなった。

今年はよく咲いたので、
車いすの老母とお花見をした。

その時、老母は桜を見上げて、
「一句できましたよ、書きとって」と、
いうではないか。

「パパさんは いなくて桜 咲きにけり」

夫のことであろうけど、
私はその句のことをいった。

「そんなこというたかしらん、忘れたわ・・」

老母は無心に箸を動かす。

「この間のことやないの」

「この間だって何だって、
忘れるときは忘れますよ。
忘れるからこそ、長生きできるんです。
しょーむないこと、ごじゃごじゃ覚えてる人は、
早死にしますよ」

口では老母にかなわない。
健啖ぶりでは負けそうだった。

これで97!



            




・田辺さんのお母さまは、
ご長寿でいらっしゃったのですね。

ご主人が亡くなられた年に97歳とは・・
それもお元気で口も達者でいられるのは、
ほんとにうらやましいこと。

わたしも母が亡くなるまで、
同じ屋根の下で暮らしていたので、
母と2人での食事の機会は多くありました。

母は80代初めに亡くなったので、
まだ(老母)と呼んではかわいそうかな?


~~~


・日本には、
自分をへりくだっていう風習があります。

最近は使わなくなったのでしょうか?
「豚児」という言葉があります。

わたしが小学生のころ、
父のところへ来た年賀状に、
「我が家の豚児もこの春、中学生です」
とあり、わたしは父に、

「この人はブタを育てているの?」

と聞いたことがあります。
父は笑いながら、

「自分の子供のことを、
他人にはそういうんだよ」

「へ~~、男の子も女の子も一緒?」

「一緒と思う。
豚児は聞くけど豚女は聞いたことない」と父。

そういえば、
自分の奥さんのことを「愚妻」といいます。

これも愚かな自分にとっては、
もったいないほどいい妻、
という意味。


今は、
「豚児」ではなく「愚息」とか「愚娘」とか、
時々見かけますが、
これもバカ息子、バカ娘という意味ではなく、
自分をへりくだる意味ですから、
愚かな自分にはもったいないほど
いい息子、いい娘、
になるそうです。

そうなんだ!
では奥さん側がへりくだって、
ご主人を呼ぶときは?
どう呼びましょうか?




            




お墓の掃除

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・ここのところ、
ずっと猛暑日(35℃以上)が続き、
外へ出るのをなるべく避けていましたが、
先日の木曜日は、
朝の気温がストンと下がって、
熱帯夜から久しぶりに解放されました。

お盆が近づいたので、
お墓の掃除にいつ行くか?でしたが、
「今日しかない!」
そう思って朝の6時過ぎにお墓へ。

毎年、
お盆が近づくと掃除に行くのですが、
墓地も墓地へ至る道もジャングル状態でした。

なので、
完全防備姿で、
虫よけスプレー、特に蜂にも要注意で、
夫(おっちゃん)が車を出してくれたので、
掃除用具一式積み込んで出発。

ちなみに、
うちの墓地は南東に開けた山の斜面の、
中ほどにあります。


~~~


・墓地の真下の道路に車を停めて、
道具を持って石段を上がると・・・

あらら、
毎年、わたしの膝丈ほどの雑草が伸び、
石段を隠してしまうほどでしたのに、
きれい!

なんで?
墓地に着くと、
あらら、ここもジャングルではない。

よく見ると、
墓地までの石段や他の墓地の雑草が、
まるで除草剤をかけられたように、
黄色くなって立ったまま枯れて・・

さすがの雑草も、
この連日の猛暑でやられてしまった?

季節外れの枯れた雑草を、
抜くのは楽で、
スコスコ抜くことができました。

台風のせいでしょうか?
木々の葉っぱがこれまたシャリシャリに干からびて、
片隅に吹き寄せられていて、
いつもの夏と違う、
光景が。

1時間ほどで、
草抜きと掃除も終わり、
これでお盆が迎えられます。




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清掃後の様子
向かって右上はお隣の墓地




・当日は、
日中も30℃前後で推移し、
これが今までの真夏だったなあ、
今年の夏は確かに異常だ、と感じた一日でした。

が、今日はまた、
猛暑日復活であっついです。

室内気温が現在、34℃
外はカンカン照り

あまりの暑さにセミも鳴かない、
静かな昼下がりです。




            

ナマ

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・赤ちゃんにテレビを見せる可否が、
いま論じられているが、
私はもちろん、
ママの肉声がいいに決まってる、
と思う。

キカイよりナマ身、
モノよりナマの人間。

キカイから流れてくる音声、
いかに快い音楽、
美声の語りかけであろうと、
それよりも、
ガラガラ声のお父さん、
荒っぽい言葉使いのお母さんの方が、
ずっといいのは(情)があるから。

ナマの手ざわり、
ナマの息がかかること、
赤ちゃんは全身で肌全部の雰囲気を、
感じとる。

それは、
「みんな、こっち向いてる!」
という感じ。

ママやパパ、
まわりのオトナがみんな見ている、
というエーテルが赤ちゃんを包む。

赤ちゃんなりに、
「アタシ(あるいはボク)のこと、
みんな、関心持ってくれている」
と満足するのだろう。



        



・ことにナマの力は、
人間のてのひらであろう。

てのひらにはすごい霊力(ちから)があり、
医療のことを「手当て」というのは、
太古、
人々は医療の方途を持たないまま、
近親者が心をこめて、
手でさするのが、
唯一の治療法だった。

それで治癒することもあった、
という話を少女のとき先生に聞き、
「不思議ね。面白いね」
といい合って、
それっきり忘れてしまっていたけど、
このトシになって思い出す。

ナマの霊(くす)しき力は、
現代人にはかなり薄れているだろうけど、
なんたって「波動」というものはある。

お化粧でもそうだ。

カット綿やスポンジで、
化粧品をつけたり拭いたりするよりは、
てのひらや指先で直接、
肌に触れるのがいい。

ナマのまごころ、
ナマの愛情、
メールより読みにくくても肉筆のほうが。

そして究極は、
そばに来て肉声を聞かせてくれるほうが、
人間の精神を安らげてくれるのだろう。

しかし、
ナマはまた真実を告げることでもある。

電話ではごまかせられても、
肉声を聞き、肉眼で見ると、
調子いいヒトはすぐにわかるものである。



        



・某日、
私は旅先でタクシーに乗った。

わりに長距離になる。

運転手さんは40過ぎの、
気のよさそうないい兄ちゃんだった。

(私にとって男性は、
80くらいまではみな兄ちゃんで、
それ以上はおっちゃんだ)

「大丈夫ですか?
ちょっと山道はカーブ多いけど」

兄ちゃんはいった。

「おばあちゃん、
車酔いしない?大丈夫?」

おばあちゃんとは誰ぞ?
あたしのことか!?

生まれて初めて、
おばあちゃんと呼ばれたぞっ。

少しショックだった。

しかし、これこそナマの声、
天の声というべきにやあらんと思った。



            




・「波動」とは見えない力。

それで思い出したのが、
朝ドラ「ごちそうさん」の中で、
主人公・め以子の長女・ふ久が、
小学校の2階から石を落として男の子にケガさせたり、
校庭でボヤ騒ぎを起こしたりと、
やっかいごとを起こして、
登校を見合わせるようにといわれ、
め以子は怒り心頭になって、
ふ久を叱るが、
ふ久は、
「なぜ、煙は上に上がって、
石は下へ落ちるのか、不思議で実験していた」
という。

そこで、
おじいちゃんの登場。

おじいちゃんは、
この世の中は、
ふ久に見えない力がいっぱいあって、
上へ上へ、下へ下へと見えないけれど働いている。

「その力のおかげでふ久は、
今、ここに坐っていられるんだよ」
と、図解入りで説明する。

納得するふ久でした。

ずいぶんと変った子供だったけど、
成長しても心を落ち着けるときは、
円周率を唱え続けたという女の子になった、
という場面を思い出しました。

そういう見えない力が、
赤ちゃんを育てる


~~~


・はじめて他人から「おばあちゃん」
と呼ばれた田辺さんのショックはわかります。

わたしはまだ他人さまから、
「おばあちゃん」と呼ばれたことはありませんが、
「お母さん」ならあります。

全然知らない若い男の店員さん、
特売品売り場でお客さんを呼び止めるのに、
「そこのお母さん、どないですか?」

「わたしはあんたを産んだ覚えはない!」

と思って素通りします。
無視して

そこへくると、
朝ドラ「ごちそうさん」(また出た!)の、
め以ちゃんの幼なじみの肉屋のげんちゃんは、
お客を呼び込むのに、

「そこのべっぴんさん、どないや!
寄ってって!お肉安いで~~」

と大声で言ってました・・

べっぴんさんと呼ばなくても、
お母さんはないですよね。




            


お墓参り

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・お盆の墓参は、
昔は14日の夕方がメインでした。

日が落ちてから、
夕涼みがてらお墓への道を、
ご近所衆がゾロゾロと歩いたものでしたが、
今は、車が主

それも早朝が多くなりました。

お盆に向けて、
ガーデンセンターは墓花のために、
早朝より開店していて、私たちは、
まずは花を買いにガーデンセンターへ。

墓花用の花束を墓石分買って、
墓地へ。





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今年も見られた、
空き地に咲いたモミジアオイ




・墓地に着くと、
先日、掃除に来た時は、
数台が停まっていた道の片側は、
びっしりと車が並んで先日停めたところは無理

少し離れたところへ停めて、
水場でお水を汲んで夫(おっちゃん)と、
墓地への石段を登る。

どのお墓もきれいに清められ、
新しい花が供えられて・・

わたしたちも、
花筒に水を満たし、
買ったばかりの墓花を入れ、
ローソクを灯しお線香に火をつけ、
静かに合掌して今年も無事お墓参り済みました。



~~~



・お孫も、
お父さん、お母さんと一緒に墓参にくるハズ。

今朝、3人で、
仏前にお供えを供えて、
昔、お孫のおもちゃでもあった、
おりんをりんりんと鳴らして、
先ずは仏前へお参り。

息子は、
「こうやって、まんまんちゃん、あん」
と手を合わせる様子をお孫に示し、
お孫も小さな両手を合わせて、
3人で合掌してからお墓へ向かいました。

その後、
お母さんの方のお墓参りに行くそうです。

そういえば、
わたしの両親が、
孫である息子に「まんまんちゃん」と、
仏壇の前で教えていたのを思い出しました。

親のわたしが教えず祖父母が教えたことを、
親になった息子が子供に教えてます

今も室内気温は34℃。
この猛暑いつまで続くのでしょう。




            

ステッキ

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・元来、
脚疾のある私であるけれど、
40代ではまだ元気で、
阿波踊りに出かけて、
踊ったりしていた。

50代の海外旅行も、
さして支障はなかったが、
60に入って歩き悩むようになった。

これは人間を落ち込ませる。

しかしふと、
(そうだ、ステッキというものがある)
と思いつき、ステッキ屋さんで、
身長にあうように切ってもらい、
ついてみた。

これが実に楽で、
これさえあれば富士登山も、
出来るんじゃないか、
とにわかに気分及び前途が明るんで、
ハイの精神状態になってしまった。

(私は落ち込みとハイの落差がひどいわりに、
すぐ、クラッと変るタイプである)



        



・ところがまた落ち込んだ、
というのはステッキなるもの、
男性用・女性用もなく、
黒が多く、地味で陰気くさくて、
実用一点張りというしろもの。

趣味性も美的センスもない。

折よく、
姪の一人に器用な子がいて、
既成ステッキを明るい色に塗り替え、
ヴィクトリア朝の花や天使を描き、
あるいはスヌーピーのシールを貼り、
透明ラッカーで上塗りして、
楽しいステッキに変身させてくれた。

天下に一品しかない、
私の自慢である。



        



・私はかねて、
自分の好きなもの、
あらまほしいものを、
小説に書くことがある。

1980年代初めに書いた、
「恋にあっぷあっぷ」
「お目にかかれて満足です」
には、しゃれたブティックに風変わりなものを、
置かせた。

人は悲しい時、
憂い顔の人形を見ると、
かえってなぐさめられる、というので、
「冥途男(よみお)」と名付けた人形。

笑わせる猫のぬいぐるみには、
「涙食い」。

そんなものの一つに、
「婦人用ステッキ」がある。

真っ赤なステッキ、
横縞だんだらのもの。

ブティックの女主人に、
「今にこんなのが流行るわよ」
といわせている。

たちまちにして、
そんな時代がきた。



        



・現在ではそういう美しいステッキを、
製作販売しているお店がある。

手作りステッキもいいが、
プロのお店のは、
ドレスにも調和して美しい。

真紅、ピンク、空色・・
お好みで花柄やいろいろとある。

私のステッキコレクションも、
テレビで放映されたけど、
「どこでお求めになられました?」
という皆さんからの、
お問い合わせが多かった。

老人・障害者イコール地味・野暮・無難・控えめ、
というのも因循姑息な古めかしい、
固定観念だろう。

時代が変われば、
ステッキの流行も変わる。

ましてや、
思想・主義においてをや。

早よ変えたほうが、
エエ人も多い。



            




・わたしが、
ステッキ(杖)で思い出すのは、
もう何年前になるでしょう?

奈良にある最古の道、
「山の辺の道」を、
山仲間たち数人で歩いたことがあります。

前日のお昼過ぎに桜井市の宿で集合し、
翌早朝より天理市に向かって、
山の辺の道をスタートしました。

季節は秋、
「道」とはいえ、平坦な黄金の稲穂道もあれば、
深い木立の中にある神社をめぐり、
そして山道もありました。

その険しい山道を一列で登っている時、
後続メンバーの視界から、
突然わたしの姿が消え、

「あら~~!」と後続メンバー

「キャー!」とわたしの悲鳴が同時に起きて。

深い側溝が道に沿ってあったのが、
枯草におおわれて見えなくなっていた所へ、
わたしが体ごと落ちたのでした

まるで落とし穴にはまった状態。
一瞬、わたしの視界は空の青一色に変わりました・・

リーダーが真っ先にわたしの両手を持って、
引き上げてくれました。

背中に背負ったリュックがクッションになって、
幸い側溝には水も流れてなくて、
わたしは怪我も衣服の濡れもなく、
上へあがってこれたのでした

が、しかし、
足を痛めたようで、
歩くと足のつけ根あたりに違和感が。

すると、
メンバーの一人が、
折りたたみ式の杖を出して来て、
「これ使ってみて」と、
まっすぐな杖にのばして貸してくれたのです。

杖をつくと、
ずいぶん痛かった足が楽です。

これは使った人でないとわかりません。

杖を借りたおかげで無事、完歩できたのを、
思い出しました。

あれ以来、
わたしも折りたたみ式の杖を、
旅に出る度、カバンの底にしのばせています。

今のステッキ(杖)はカラフルになりました。

「ステッキはステキやデ」ですね。




            


8月15日の事件

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・昨日まで猛暑日と熱帯夜が、
一ヶ月近く連続していた当地です。

そんな暑い暑い日が続いていた中、
14日に無事墓参を終えた翌15日の朝のこと、
夫(おっちゃん)が大きな声で、
「手伝えっ!」
と外から呼ぶので、
何を手伝うのや?と思いつつ、
あとをついていくと・・・

花子は今、
17才と4カ月の黒ラブ犬ですが、
暑いので夏場は庭のマイハウスではなく、
別棟のガレージ兼物置きに、
天井扇を常時つけて、
住んでいます。





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お盆前の夕方の散歩から帰って、
リードを持つのはおっちゃん・・




・ごはんも高齢犬用の、
小粒半生のものを食べていて、
朝夕の散歩も介護用ハーネスをまだつけずに、
トコトコ歩いています。


~~~


・呼ばれて行った花子の居住空間は、
花子が出した(尾籠でごめんなさい)汚物でまみれ、
花子は物置きから出されて、
ガレージの柱につながれてのびています。

手伝え!といったのは、
汚物の後始末を手伝うことでした。

私はゴム手をつけ、
長靴をはき、柄のついたタワシを持って、
床の汚れに石けん粉をふりまいて、
こすり取るのに必死。

おっちゃんは、
コンクリートの上では、
花子の足がすべって歩きにくいので、
すべらないシートを敷いているのですが、
そのシートを花子用洗濯機で洗いながら、
床にホースで水を流してくれます。

わたしは柄つきタワシでコンクリートについた、
シミをこすりながら、汗と涙でぐしょぐしょになっていました。

花子は、と見ると、
朝は何も食べていないのに、
まだ苦しい中立ち上がろうともがいては、
吐き続けて・・・

こうして亡くなっていくのかなあ?
もう、獣医さんに頼るという気持ちはありません。

これだけ長生きして何度も痛い目(手術)にもあって、
もう充分です、花ちゃん!

花ちゃんとの別れの時間が迫ってる!と思うと、
いつかはそうなることがわかっていても、
やはり手が震えて仕方ありません。

足もガクガクしながら、
きれいに水で流し終えるのに1時間余かかりました。

花子はガレージでの床でムササビみたいに、
ぺしゃんこになってのびていて、
「花ちゃん!」と呼ぶと、
目をこちらに向けますが、
頭はあげません。

うつろな目をして・・





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上と同じ日




・花子の居住空間は、
水でぬれているので乾くまでは、
外のガレージにつながれたままその日は過ごして、
夕方、そっと見に行くと・・・

立ち上がって尻尾を振るではありませんか

洗濯してきれいになった花子用シートを、
乾いたコンクリートの床に敷いて、
おっちゃんがいつものごはんを与えると、
花子は、むさぼるように食べたのです。

「え~~っ!今朝のは何だったの?」
なわたしとおっちゃん。

二人とも覚悟をしていたのでした。
なんと生命力の強い子でしょう。

今日の朝もごはんを完食して、
散歩にも行って、
立派なおみやげ持って帰ってきました。

生き物を飼うということは、
命の不思議を実感させられることでもありますね。




            

独楽

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・所用があって夕方、
車で出かけた。

私は運転ができない。
アシスタント嬢が運転してくれる。

私は車に乗るのが大好き。

運転の労は省かれ、
外の景色を楽しめるから。

広い大通りへ出た。

街路樹がふさふさと茂って、
夕風が快い。

この時間、
この大通りを走るのは楽しい。

というのも、
犬を散歩させてる人が多いから。

そして車の窓から、
犬にちょっかいをかけるのが好き。



        



・赤信号で停まった横に、
同じく信号待ちの奥さんが連れている、
中型の黒犬。

私はお腹の中で、
黒犬にしゃべりかける。

犬は異能の存在であるゆえ、
声なき私の声が聞こえ、
私を見る。

精悍な面構え、
どう猛といってもよい。

私はひやかす。

「黒犬もいいけど、
犬は目玉も黒いから、
どこに目があるかわからなくて、
対応に困るんだよね」

「ワイのワルクチいうかっ!」と、
目をいからせる黒犬。

「悪口じゃないけど、
ちょっとぐらいは白いところ、
あったほうが愛嬌あるんやない?
全身真っ黒 墨の固まりってのは、
可愛げないよ」

「うっせえ!
一発かましたろか」

「大阪弁で“面白くない”というのを、
“黒犬のお尻(いど)”というのん知ってる?
“尾も白うない”のシャレ」

「まだいうかっ、くそう!」

吠えかかろうとして、
奥さんに引かれ、
こっちをねめつけていく黒犬。



        



・次にきたのは、
ゆったり歩を運ぶ熟年男性に引かれ、
これももろともに風雪の歳月を重ねた、
というような老犬。

これも犬ながら練れた表情。

しかしそれは老いたから練れた、
というのでもなく、
持って生まれた性格と環境により、
ある種の境地へ到達した、
という教養を伺わせる。

だから、
さっきのどう猛犬に対するように、

「どや、おっさん」

などとはいえない感じ。

私は口調を改め、

「いかがですか、
毎日のお食事は。
おいしいもん出ますか?」

練れ犬は、
品よい目で私を見、

「ま、そこそこでんなあ」

「しかしまあ、
そうシケたことおっしゃらずに、
“最高やで”とかなんとか」

「現実は現実でっさかいな」

老犬はゆったり歩くご主人の後から、
同じくゆったりと従い、
耳をすますと二人は共に、

♪吹けば飛ぶような 将棋の駒に~♪

と、村田英雄を口ずさみつつ、
去っていく。



        



・「は?何を笑っていらっしゃるんですか」と、
アシスタント嬢。

私は、
思わず独り笑いをしていたのだ。

私は独りでいるときも、
テレビもラジオをつけない。

何を見ても独りで、
いろいろ空想して独りで楽しむから。

独唱、独奏、独酌、
などという言葉があるが、
私の場合は独楽というのか。



            




・ワンと話が出来るのは楽しいですね。
うちの花子が話すと、こんな具合でしょうか


「あたしもずいぶんと長生きしてしまって、
今までの来し方を思い出してみると、

あたしの母は牧場で働いていた、
血統書つきのラブラドールだったわ。

でもね、
母はあたしを含めて4匹の子犬を産んだの。
他の3匹は男の子で真っ白。
あたしだけ女の子で真っ黒。

父がどこの誰だか不明なので、
いわば雑種よね、あたしたち~~

誕生日は平成13年5月1日。

飼い主さんは貰い手を探すのに必死。

でも、真っ白な男の子はすぐに貰い手が見つかって、
次々ともらわれていって、あたしだけ残った・・

女の子だし、黒いということで、
誰ももらってくれなかった。

そして、飼い主さんが、
あたしを明日保健所へ持って行くと決めた前日、
ぎりぎりセーフでここのうちへ来たの。

というのも、
ここのお母さん、丁度実の母親を亡くしたあとで、
昼間、一人で家にいるのに慣れていないので、
どこかに性格のいいワンはいないかな?
と考えていたところへ、
お母さんの妹が、
この情報を伝えたの。

妹は、
(女の子だし、黒い犬よ)と、
念を押したけど、
お母さんの希望が(黒犬)だった

で、お母さんの妹が、
保健所行き前日にこのうちへ連れてきたわけ。
それが一か月後の6月1日。

当時、
ここのお母さんは庭に花をいっぱい咲かせていて、
あたしの名前は速攻で(花子)に決まったの。


あたしは当時、
まだ大人の両手に乗ってしまうほど、
小さい体だったけど、
このうちの環境が性に合ったのか、
無駄吠えもせず、ごはんもよく食べて、
家族みんなにかわいがってもらい、
どんどん大きくなったわ。

そうそう、
一度はドロボー退治もしたことあるのよ!

そして今は、
すっかりよぼよぼのおばあさんになってしまって、
先日はお父さんやお母さんに多大な迷惑をかけてしまって・・
ほんとにごめんなさい。

もう少しここで生きていたいので、
そうさせてね。

お父さんは歌謡曲が好きなので、
村田英雄も知ってるハズ。

お母さんは、
ニューミュージックというのかしら?
村田さんより徳永さんの方が好きみたいね

今のあたしは、
ただただ横になっているのが幸せ。

足腰、目や耳も弱って、
でもなんとかあと少しがんばって生きてみます。

お母さん犬になれなかったのは、
なった時の苦労を知らないからこれでよかったかな?
と思っています」

花子談




            

真備町・・

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・もう一ヵ月も前、
大きな水害が西日本を襲ったのは、
周知のとおりです。

わたしの夫(おっちゃん)の実家も、
倉敷市にあるのですが、
おかげさまで、
無事でした。


~~~


・お盆前に、
おっちゃんの身内から、
「お供え」として立派な岡山産の、
ブドウが送られてきました。
ありがとうございます。




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・お盆が終わった先日、
仕事に出た息子が帰宅後言うには、
同僚に真備町で被災した実家がある人がいて、
今週中に避難所へ炊き出しに行く計画とのこと。

で、その人のお願い、というのは、
家庭で使っていない食器(お皿やコップなど)
があれば持って行きたいので、
協力してもらえないか、
とのこと。

いったん水に浸かった品々は、
臭いがしみついて使い物にならないそうです。

わたしは、
こちらも猛暑から解放された昨日、
早速、2階の物置き部屋を整理しながら、
該当しそうな品をさがしました。

箱に入ったままのものもありましたが、
無造作に空き箱に入れてあるものもあり、
そういうものは、
一つ一つため込んでいたプチプチや、
発泡スチロールの詰め物、
また新聞紙で包んで壊れないようにして、

ここで役立ったのが、
上のブドウの入っていた段ボールの箱です




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ブドウの入っていた箱のフタ




・この箱に使っていない、
ガラスのコップを5個づつ包んで4列、
20個入りました!

真備町の方もきっと、
「岡山や!」
と思って下さるかも・・・


息子は数個ほどになった食器入りの箱を、
今朝、会社に持って行きました。

空き箱や詰め物、包装紙などを、
捨てないでよかった!と思うのはこういう時です。

長い間、物置き部屋で眠っていた品々も、
これで人さまのお役に立てて、
わたしは部屋がスッキリして、
双方ともよかったです




            


5センチ

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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・モノをいうのは、
犬ばかりではない。

わが家のぬいぐるみ、
コップ、時計、家財道具一切、
モノをいう。

それも私をほめたり、
この家の居心地がいいと、
満足感謝という発言は全くない。

みな不平不満、
苦情や不足、嫌味ばかりである。

私自身の体もそうだ。



        



・私は右脚を右丸、
左脚を左丸、と名付けて、
会話を楽しんでいるが、
最近、右丸の機嫌が悪くなった。

「ワイばっかりエライ目ェにあう。
膝がどうも具合(ぐつ)悪うて、
痛うてなりまへん。
ちょっと左丸も頑張るように、
ハッパかけとくなはれ。
甘やかすからあかん」

右丸のおっさんは、
浪花の働き人らしく、
達者な巻き舌の大阪弁。

対する左丸も年は若いが、
口達者なヤツ。

「ボクはそもそも、
先天性股関節脱臼やよって、
自慢やないが右丸のおっさんより、
5センチ短いねん。
今までよう頑張ってきたと、
ほめられこそすれ、
文句いわれる筋合いはない。
おっさんの膝に文句いわんかい」

確かに双方の言い分も、
尤もである。

左丸をかばうため、
右丸を酷使してきたのも事実。

必然的に体の重みが、
右丸の膝にかかる。

長い道を歩くのに不便になり、
この際、障害者手帳を申請しようと、
思い立った。



        



・「えっ、オマエ、
今までもろとらへんかったんか」

友人たちは驚く。

「いや、
自分で自分のことが出来る人は、
もらえないのかと思ってた」
と私。

友人たちは健常者だから、
そのあたりの事情に暗い。

ついに右丸の膝が音(ね)をあげて、
初めて私は傷害を自分で認めるに至った次第。

申請書類に記入していただくため、
病院へ行った。

整形外科の先生に診ていただく。

レントゲン写真で左丸の股関節を、
初めて見た。

いや、
これは左丸がブーたれるはず。

右丸の膝も変形している。
右丸が悲鳴をあげるはず。

「膝は手術できますね。
一ヶ月の入院かな。
左の股関節は難しいかもしれないけど、
全く不可能というわけでもない。
手術も進歩してます」
と先生。



        



・つまり、
私がその気になれば、
右丸、左丸ともに、
文句を言わせぬ道もある、
と示唆して下さったわけで、
先生は、

「脚の長さはどのくらい、
違うのかなあ?」

「5センチです」

先生は測られて、

「ほんまや、5センチや!」

なぜか感嘆のひびきがあり、
左丸、右丸の今までの苦労を、
ねぎらわれたのかもしれない。

右丸、左丸とも、
私が手術を受けて、
健常になれるかどうか、
賭けてるあんばい。

死んだ夫(おっちゃん)は、
私の脚につき、

「酒飲むのに、
何の不都合もないやないか」

といい捨てた。

それに人生には、
「だましだまし保っていく」
自由もあるしなあ。



            




・絵文字のは、
台風を表しているそうで、
まさに今、台風19号は九州の西を北上中。

あとを追うように20号が、
まともに当地に向かって進んでいるようで、
せっかく涼しくなってホッとしていたのに・・

猛暑と熱帯夜復活です
台風の被害がないことを願いつつ、
今日も猛暑との戦いです。


~~~


・田辺さんも、
脚でのご苦労が多かったようですが、
誰でも年を重ねると、
先天性の疾患はなくても、
使い痛みはそれぞれ出てくるもの。

特に足や腰に。


田辺さんは膝も股関節も、
手術をすれば健常になれると先生はいわれ、
亡くなったおっちゃんは、
「酒飲むのに不都合はない」と、いってたし・・
迷われたことでしょう。

確かに手術というものは、
今すぐ手術をしなければ命の危険が迫ってる、
という緊急を要する場合を除いて、
最終的には自分で決めるもの。

わたしは小さい時からド近視で、
高校卒業以来、コンタクトレンズの愛用者でした。

眼科医に、
コンタクトレンズの様子を
定期的に見てもらっていたのですが、

ずっと以前から、
「そろそろ、白内障の手術を!」
と言われ続けて、
先へ先へ伸ばしていました。

なるべく手術はしたくなかったので。

しかし、
とうとう先生に「今やらないと・・」
といわれてしぶしぶ手術に踏み切ったのが、
3年前。

術後は、
コンタクトレンズから解放されて、
世の中がめっちゃ明るくなって、
もっと早くやっておけば、
と思ったことでした。

でも、手術って怖いですよね。




            


蜂と蜘蛛

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・台風19号の後を追うように北上していた20号は、
今夜遅くから明朝にかけて、
当地を直撃の予定。

そのせいでしょうか、
猛暑と熱帯夜復活で秋とは名ばかり・・

そんな昨日のこと、
数日はクーラーなしで過ごせるほど、
涼しい日が続いてラッキーでしたのに、
数日ぶりにクーラーをつけると、
送風口からが相次いで2匹も出て来ました

まさか、クーラーの中に巣作り?ですが、
夫(おっちゃん)いわく、
室外機と共に外に向けてある、
ドレーン(排水用の管)から、
入ってきたとしか考えられないとして、
ドレーンの口に網をかぶせました。

蜂問題はこれで一件落着。


~~~


・次は蜘蛛。
またです!

前回は家の中でゴキブリなどを食べる、
益虫であるでっかい蜘蛛を生け捕りしたばかりですが、
今度は、




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ダイニングキッチンの天井灯



・この電灯にスイッチ用の紐が下がってますが、
この紐は滅多に使ったことなく、
部屋の入口にある、
壁に取りつけの、
スイッチ使用。

その電灯の紐が風もないのに、
垂直ではなく斜めにゆがんでいるのを発見。

「なんでや?」

ようく観察すると、
電灯と紐の間に見事な銀色の蜘蛛の巣が

「あら~~」

家の中にいる蜘蛛は、
巣をつくらないと聞いたけど、
巣をつくる蜘蛛はどこから入った??

そしていつの間にこんな見事な、
芸術作品を作ったのか。

「そんなん、アッという間に作りよる」
と、おっちゃん。

もちろん、食事どきを避けて、
巣を払いのけきれいに清拭したことです。

蜂といい蜘蛛といい、
まるで家にいながらまるでキャンプ場体験な、
一日でした。

今晩は暴風雨の予報。
どうか被害は出さないでね。

今年の夏はまさに異常な夏です




            

さくら咲く国

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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歩道に咲いたド根性百合?



・阪神間にある2つの遊園地、
「宝塚ファミリーランド」と「阪神パーク」が、
閉鎖になるというのは淋しい。

阪神間で育った人はたいてい、
この2つの遊園地に郷愁がある。

私も子供のころ、
よく連れていってもらった。

「チビを連れて行くのに、
あの2つは遊具も適当で、
動物園もあってエエのに・・」

と、若い父親が残念がっていた。

お子さま向きの遊園地の閉鎖は、
少子化のせいだろうか。

ウチへ来る男たちはいう。

「子供が来ん、というなら、
熟年(オトナ)を呼ばんかい。
殊に男の熟年、ヒマで、
行く先困っとるデ」

「男が来ないというなら、
女でいっぱいにしたらどう?
女の物見遊山の潜在願望強いんだから」

と、女たち。

2つの遊園地で飼われていた、
動物たちの落ち着き先も、
関西人の胸を痛めることだったが、
ここに一つの朗報は、
阪神パークの猿島のサル15匹、
サルは仲間意識が強く、
群れごと移さないといけない。

いいあんばいに、
お隣の韓国のソウル近郊に、
新遊園地がオープンし、
10年来のボス・ハットリくんもろとも、
引き取られ、
新しい環境に慣れて元気でいるという。



        



・遊園地閉鎖にまして、
関西人のショックは、
OSK日本歌劇団の解散である。

宝塚に対して、
松竹が女性ばかりの歌劇団を創設し、
ここから京マチ子、笠置シズ子が育った。

大阪の名物だったのは、
春の公演の「春の踊り」。

舞台いっぱいの造花の桜、
出演者全員が舞台に並んで、
絵日傘を開いたり閉じたり、
交錯するライト、
舞い散る花吹雪。

川柳作家、岸本水府の作詞による、
「さくら咲く国 さくらさくら~~」
の歌を出演者も観客も、
もろともに歌い、
父などは、

「これを聞かんと、
春が来た気ぃせえへん」

と、いっていた。



        



・戦後何年かして近鉄資本となり、
奈良のあやめ池へ本拠が移ったので、
大阪っ子は淋しい思いをしたが、
それでも上本町の近鉄劇場で、
見ることができた。

しかしOSKは資金難から解散、
劇場も閉鎖という。

OSKは80年の伝統を持つ。

女性だけの歌、ダンス、お芝居の劇団は、
世界でも珍しい。

美女の歌舞団、
宝塚以外にもう一つあるのを、
知って欲しい。

OSKは近鉄から、
年間3憶5千万円の支援を受けていた、
とあったが、母胎企業が赤字で、
リストラされたよし。

日本は自国の文化を、
もっと支援してもいいんじゃないか。

日本の対外国支援の巨額と、
つい比べてしまう。

(近年、OSKは再開した)



            



・「宝塚ファミリーランド」は、2003年8月31日、
「阪神パーク」は、2003年3月31日、
に閉鎖しています。

USJなどの大型娯楽施設が出来たのも、
その引き金になったのでしょう。

OSKは近鉄資本を離れて、
有志の方の努力で、
2004年「春の踊り」を復活されました。



~~~


・阪神パークの思い出は、
春のセンバツを見に息子を連れて行った年、
何年前になるでしょう・・

東海大相模の原辰徳選手が大人気でした。
その試合を外野席で見た帰りに、
せっかく来たのだからと、
お隣の阪神パークで、
動物を見て回りました。

ファミリーランドへは、
子育て時代には行っていませんが、
わたしが小学校のころ、
父が宝塚歌劇へ連れて行ってくれました。

花の道を劇場へ向かって歩いていると、
遊園地の遊具や動物園舎が見えましたが、
行ったことはありませんでした。

その後は子供も成長し、
親と一緒に行動することはなくなりました。

OSKの件は、
新聞のニュースで知っていましたが、
これも実際に見たことはありません・・

時代は移っていくようです。

TDSは山仲間たちと、
物見遊山と称して出かけたことありますが、
やはり自然の山がええなあ!を実感しました。

USJは行ったこと無しのまま、
終わりそうです




            


台風20号直撃

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・先週の木曜日は、
朝から台風が北上していることを、
ニュースが取り上げていて、
わたしも午前中から庭の植木鉢や、
吹き飛ばされてはいけないものを、
ウチへ取り込んだりして、
備えました。

夕方まで青空が広がり、
風こそざわざわと強風が吹いたものの、
一滴の雨も降らず、
不気味な真っ赤な夕焼け空が見られました。

その後、
家中の雨戸を閉めて、
早めの夕食と入浴、停電してもよいように、
懐中電灯とラジオを用意して、
テレビを見てました。


~~~


・夜の9時過ぎに徳島県南部に上陸した、
というニュースが流れたころから、
雨風ひどくなり、
家中が暴風が吹く度、
ガタビシと音を立てて、
眠れません・・

わたしは耳元で、
「ラジオ深夜便」を聞いていましたが、
ほとんど内容を突破して、
「大阪から台風情報を」
で過ぎていき、
とうとう午前0時、
「台風は兵庫県姫路市付近に再上陸の模様」
と伝えました。

「えっ!近くやん・・」

先月の大雨の時、
何度もエリアメールが配信されたので、
携帯をチェックするも全く静か!




台風襲来が姫路港の満潮時刻に重なると聞き、
昔よく聞いた海辺の音楽を不謹慎にも思い出して。




・眠れないと言いながらも、
うとうととまどろんでいたのでしょう、
いつの間にか暴風が止んで静かになっていました。

台風は駆け足で兵庫県を縦断して、
日本海へ抜けたのでした。

翌金曜日の朝、
庭は飛んできた落葉でいっぱい!

わたしは前日に片づけた、
植木鉢を元の場所にもどし、
夫(おっちゃん)は庭そうじ・・

大きな被害が出たところもあるようで、
心が痛みますが、ウチは無事でした。

ところが、
落ち着いたころPCを開いて、
ブログを見ようと、
「マイページ」を開けようとしたのですが、
何度試みても開きません

やはり台風のせいで、
PCも不具合が生じたのかな、
再起動しても結果は同じ。

午後、時間がとれたら再チャレンジと決めて、
それこそ午後、再度挑戦すると、
あらら、「マイページ」へ、
難なくたどりつけました

その「マイページ」で、
開かなかったのは台風のせいではなく、
ヤフーさん側に不具合が生じたとのお知らせが・・

PC、壊れたか!と思ったのですが、
こちらもよかったことでした。




            

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(文中の「私」は田辺聖子さんです)




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猛暑に負けず、
塀際で咲き続けるミリオンベル




・アシスタント嬢が、
あわただしく飛んできて、

「お母さまが、
おコタの中に蛙が飛んでるって、
おっしゃってますわ。
いやです~、
あたし、蛙、苦手なんです・・」

うちの庭はごく狭いけれど、
小鳥も来、虫もいる。

以前は家の中へ、
ヘビが入ったこともある。

別に無頼のヘビではなく、
近所のよしみで、
表敬訪問して下さったらしいが、
こちらとしては恐縮し、
庭へお帰り頂いたことがある。

しかし、蛙も困るなあ。
千客万来はうれしいけれど・・



        



・老母はコタツにひざを入れ、
憮然としていた。

コタツはテーブル代わりなので、
年中据えてある。

私はおっかなびっくりで、
フトンを持ち上げてのぞきながら、

「どこにいるの、蛙って」

「蛙が飛んでる、
というのにわからへんの?」

「だからどこ?」

「おコタが暖(ぬく)うなってないことを、
“蛙が飛んでる”いうの。
エエ年してそんなことも知らんの?」

知らなんだ。

確かにその日は梅雨寒で、
コタツが恋しいのはわかるけど・・

調べると、
コードのソケットが外れていた。



        



・大阪で蛙のシャレといえば、
“冬の蛙

即答を求められた時など、
「ま、“冬の蛙””というトコでんなあ」
と笑っていなす。

“冬の蛙”→“寒蛙”
つまり「考えときまっさ」
という逃げ口上のシャレだが、
しかし、“蛙が飛んでる”というのは、

「すごい表現でございますわ」
と感心する。

そもそも老母の口から、
何が飛び出すか知れない。



        



・先日は、
入浴介助の方が来られた時、
母は昼寝を中断されて不満だったのか、
「入りたくない」とごねだした。

「せっかく来て下さいましたのに」と、
アシスタント嬢は口を添え、
私も、
「そうよ、待ってはるから、
早よ、行きましょっ!」と、
せかした。

これが悪かったらしい。
老母は憤然として、
「あたしゃ、
召使いの都合に合わせる気は、
ありませんよっ」

みな、こけてしまった。

召使いなんて子供の頃読んだ、
「小公子」あたりには出てきたけど。

結局は入浴したが、
機嫌のいい夕食時を見計らい、
次の入浴予定日をメモに筆ペンで、
大書して老母に渡した。

老母は字を読むのが好きなので、
口でいうより直ちに納得する。

しかしこの時は妙な顔をしている。

アシスタント嬢が叫んだ。
「お母さま、紙が反対ですわ」

老母も笑い出し、
「日本も進歩したもんや、
世の中くらくら変わるから字も変ったか。
ムカシ人間は読めんようになった、
と思たら逆さまかいな」

かしこいのかアホなのか、
わからぬ人だ。



            



・実の母親とずっと一緒に暮らせるのは、
幸せなことだと思っています。

女の人の多くは、
他家へ嫁ぐので実母とは離れて暮らします。

田辺さんは、
ご主人とご自分のお母さまと、
一つ屋根の下に暮らし、
ご主人を送り、
お母さまと家族同然のアシスタント嬢と、
暮らしておられて、このエッセイは、
ご主人が冬に亡くなられて後の、
出来事を毎週新聞に掲載されたもの。

家族、仕事仲間、飲み仲間との、
楽しかった思い出が詰まっていて、
ご主人を亡くされて、
悲しみにくれていらっしゃるであろう、
という思いは見出せません。

「それは冷たいのではないか」
という感覚は全く感じられなく、
田辺さんの心には、
ご主人の体は召されてしまったけれど、
いつもそばにいて見守ってくれている!
という気持ちがそこここにあふれています。

おっちゃんの自由に任されたというのも、
田辺さんなりのご主人への愛情でしょう。

おっちゃんが病後のリハビリを嫌がってしない!
と決めたらその気持ちを尊重して、
リハビリはしなくていい、
と決断をされた、
田辺さん。

わたしなら出来るかどうか?
自信はありません・・

「先生のいわれるようにしましょう」
と、強制するかもしれません。

いろんな選択を本人にさせる、
それも一つの生き方として学ばせて頂きました。

お母さまも面白い方のようです。

旅がお好きで80代で、
世界どこへでもお出かけになられたとか、
お元気なお母さまのようです。

母が元気でいるというのは、
最高の幸福です




            

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